早寝から目が覚めちゃったついでに

各所で色々言われてるsts24話を擁護する側にまわってみようと思う。
 
 
まず、擁護のしようのない部分から。
どこがかってーとやっぱり動画面(映像的な演出面含む)。これでかなり損してると思われます。
実際話だけ聞いていれば巷での熱さ云々に関する意見に反してやってること、言ってることはいつも通りのリリカルなのはです。都築先生的な言い回しです。
まあ、DVDである程度は修正加わるでしょうしその辺はそれ次第というところでしょうか。
 
で、話的な部分にいきますと。
別にこれといって問題なく楽しめました。っていうか、どこが問題なんだろう?と首を傾げたくなるくらいに。十分個人の解釈と想像でどうにでもなるレベル。フェイトが揺れやすいのは成長云々関係なく性分でしょう。
卒業式なんて揶揄されてるエリキャロもまあ少々冗長な面は否めませんが同じ立場のキャラ二人に交互に連続した言葉をしゃべらせるのなんてありがちなくらいありがちで取り立てて騒ぐようなことでもありませんし。
フェイトとスカのやりとりはフェイトの成長云々よりも彼女の生まれ持っての性格の一言で十分片付いちゃいますって。プレシアのことに触れられたから、っていうよりもスカに同類呼ばわりされたことのほうが大きかったんじゃないかなぁ、とも思います。
プレシアがらみも自分は一期二期で完全に「乗り越えた」というよりも「受け止めた」だと思っているクチの人間なので、そこを触れられても違和感は感じず。
十年間の間に受け止めたそのボールが一回もぶれなかったなんてことはないでしょうし、今回のようにピンチで余裕もない状況ともなればなおさら。そもそも自分がただの「フェイト・テスタロッサ」ではなく「フェイト・T・ハラオウン」である、人形ではなく人間であるという明確な意思表示は数話前にトーレに対してしちゃってるんですね(帰還か、反逆か〜の部分)。だからその辺はやらなくても(やったほうがよかったでしょうけれど)一応通過済み。
 
エリキャロに励まされる展開も、普通に一期から(もともと三期までやる予定がなかったにしては)それなりにうまく繋がってるように見えたんだけどなぁ?
一期でなのはに出会い、自分の足で立ち上がり。
二期で過去を受け止めて前に歩き出した。
んで、三期では出会ったキャロたちの手を引いていたところからはじまって、子供たちが自力で歩いていく姿に少々困惑し(ss02など)──この辺がスカの台詞に動揺した原因のひとつかと、
困惑していたその成長に励まされるようになる、と。
 
結局のところ、自分のスタンスがアニメ=娯楽であり、好きな作品ならなおさら「どんな形でも楽しまなきゃ損、楽しんだもの勝ち」と無駄に作品に対してポジティブシンキング過ぎるだけ故の考え方なのかもしれませんが(汗
 
同じ見るなら、いいほうに解釈していい印象を持てるように見たほうが楽しいじゃないですか、ね?(同意を求めるな
 
・・・とまあ、結局のところ書いてて作画って大事なんだなぁ、と思った次第。
んじゃ、この辺で。