の更新と。

 
とらのあなでの喪失辞書最終巻の委託が始まっております。つこちら
 
あふん挿絵ページの指定うっかりわすれたまま納品しちゃったいorz
 
 
 
んでもって数の子短編最終話更新ー。ついでに短編まとめに未収録だったぶんも収録ー。
 
最終話の当番はノーヴェと諸々。
 
 
↓↓↓↓
 
 
− − − −
 
 
 
遠く、遠く。二つ並んだヘリの影が背を向けて、黄昏時の沈む太陽の色に染まる水平線の先へと小さくなっていく。
 
豆粒のように、次第に夕日の色に溶けていくのだ。
視覚にはゆっくりとみえるスピードも、実際にはその下に飛沫を上げる海面の波などでは到底追いつけないほどに早い。
ゆっくり、ゆっくり。けれどその実、速く、疾く。
すなわち、現実と感覚とでは時として、その流れる速度がそれほどまでに同じひとつの事象であっても異なる場合があるということ。
その厳然たる世界の理を、視覚的に感覚的に、まるで少女へと教えているかのように。
 
──そう。そうだ。もうあまり、時間はない。いつかやってくるはずだった時は、もうすぐそこまできている。避けようもなく、どうしようもなく。
 
「ノーヴェ。こんなところにいたのね」
 
声をかけられてようやく、ノーヴェは背後にあった気配も、彼女らの立てていた足音にも気づくことなく自分がぼんやりと、この環境の整った鳥籠のような更正施設から飛び去っていく二羽の鋼の鳥に見入っていたことに思い至る。
 
振り返ったそこにいるのは大と小、こちらも二つの影。
ともに長い髪を揺らす姉たちの姿へと、ノーヴェも踵を返す。
 
「チンク姉、ギン姉」
 
その二人以外の姉妹は、どこにも見えなかった。もちろん、かといって不思議とも思わない。時間的にはもう夕食の頃合だ。
皆、おおかた食堂に集まっているのだろう。ウェンディや、セイン。それにああ見えてオットーあたりが一番乗りでトレーを手に並び受け取って席につく常連だ。
三人とも、姉妹たちのなかでも特によく食べるメンバーである。ひょっとすると、もう長く待たせているかもしれない。
 
「どうした? 元気がないな。考え事か?」
「……うん。そんなとこ、かな」
 
ぽん、と。自分の胸ほどの高さの身長をした姉に、腰を軽く叩かれる。
スバルも、八神二佐も帰った旨告げられて、ノーヴェは彼女へと曖昧に頷き返した。
 
「オットーも、なんだか吹っ切れたみたいにしてたし。色々……もうあたしだけなのかなって。決めてないのは」
 
色々と、なにもまだはっきりと決めてないのは。“色々”、そう二回繰り返し言って、ノーヴェは自分の吐いた言葉に俯く。
 
それは来訪者たちとのひとときの後抱いた、彼女なりの実感だった。彼女の言葉にギンガとチンクは、顔を見合わせていた。
 
この鳥籠から飛び立つ日は近い。けれど自分にはまだ目指すべき先も、そこに向かうための手段としての羽根も、なにもない。
自分以外の姉妹たちは皆、それぞれの空と翼とを、見つけたというのに。
半ば事実でもあるその認識がノーヴェの心に、むず痒さのような焦燥感を伴った不安となって暗い影を落とす。
 
「焦ることはない。まだ時間はある、じっくり考えればいいさ」
「うん……」
 
自分、ひとりだけが取り残されていく感覚。それはけっして好ましいと思えるものではない。
 
返事は、言葉をかけられてなおやはり先ほどと同じく、曖昧なものしかでてこない。
姉の気遣いにも、生返事しか返せない。
あまり他の姉妹たちを待たせては悪いと、ただおぼろげなその思考に、二人へと先立ち足をノーヴェは踏み出す。
 
後ろの二人が困惑に顔を見合わせているのが、気配でわかった。
 
「ノーヴェ。ちょっと」
 
そして歩みかけた身体の、その右手を。弾かれたように腕を伸ばして、ギンガが引いた。
軽く、けれどそれでいてノーヴェを行かせることがないようしっかりと彼女の手首を掴んで。
 
「ギン姉?」
 
冗談とか、軽い話とか。そういう様子には見えなかった。そこから一歩も前へは進ませてもらえなかった。
ノーヴェの手を引く彼女の左腕には、それくらいの力が込められている。
その唐突さに、チンクのほうを見やる。彼女もまたギンガと同じく真面目な表情で、こちらにその隻眼を向けている。
 
ノーヴェは、困惑した。じっと見据える二対、三つの視線が──突き刺さってくるように感じられて。
 
「……ひとつ、提案。いいかしら?」
 
そう前置きをしてから、姉は掴んだノーヴェの手首を解放した。
彼女が自分たちの方角に身体を向け相対するのを待って、やがてその続きを言った。
 
行き先を迷っているのなら。父さんのところ以外にももうひとつ、選択肢がある。
 
ギンガがノーヴェへと提示したその言葉は、さしあたっての選択を彼女へと与える、ただそれだけのこと。
けれど自明として生まれ出ずるべき選択肢、それそのものすら見えてこぬ巣立ち前の少女にとっては同時に遥か重いものであり。
 
発言者たるギンガの意図したとおり、受けた彼女自らの決定意思にとって、ひとつのきっかけとなり得るものでもあったこともまた違いのない事実であった。
 
 
Numbers 〜生き方に、地図なんかないけど〜
 
last case. 9 and more
 
 
面会人、という単語を耳にしたのは、もう一年以上の長きにわたるこの虜囚生活においてはじめてのことだった。
外界より隔絶された、監獄。血脈と呼ぶべき存在もない、尋問すらもモニター越しであった重犯罪者の自分たちが収容されるそこにわざわざ面倒な手続きと根回しをしてまで足を向け立ち寄ろうとする者がいるなどとは、たとえどんな明晰な頭脳の持ち主であっても予想することなどできようはずもない。
 
けっして、自惚れでいっているのではない。彼女はそう、心中において自己を弁護する。
あるのは、己の能力に対する自負。けれど心に今満ちている思考はけっしてそれによって自らの小さな自尊心を満足させるためのものなどではない。
純粋な、驚きと。その原因に対する冷徹な分析。ただ、それだけのことだ。
 
「いったい、こんなところに何の用ですか。フェイト・テスタロッサお嬢様」
 
皮肉めいた口調になっている、と我がことながらウーノは自覚した。
目の前の金髪の女性も、こちらの口ぶりに含まれたものを読み取ってか、苦く笑う。そして、言った。
 
「お嬢様、なんて柄じゃないですよ。私はただの一介の、執務官にすぎません」
 
監獄の個人房内部は、人が一人虜囚として無為な時間を過ごし生活を営んでいくには十分な広さをしている。
けれど、それも想定されている人数を室内の人口密度が超えていないからこそいえること。
あくまで、ひとりの囚人を収容するそこも、その内に存在する数が二人ともなると些か窮屈な感覚を覚えないでもない。
 
佇む女性は、自身との間にある心理的な距離感を知ってかウーノの座る、唯一の腰掛けとなるベッドに、腰を下ろすことなく。
守衛が施錠を施したスライドドアに軽く背を預け、黒い制服とは些か不釣合いなカジュアルなデザインのバッグを手に柔和な表情を向けていた。
 
この小さなスペースが、今のウーノにある僅かというにも狭すぎる自由の範囲。そこに唐突に、彼女は足を踏み入れてきた。
 
プロジェクトFの残滓。ウーノにとっての生みの親たるジェイル・スカリエッティがそう呼んだ長身の女性──フェイト・テスタロッサ……ハラオウン。
 
「そんなに、警戒しないでください」
 
彼女の言うとおり、正しくウーノは現れた突然の来訪者に警戒の視線を向け、またそれを解いてはいなかった。
だがしかしその態度も無論、迎える側に立たされたウーノにとっては当然の対応。
 
なにしろ、自分たちは管理局側にしてみれば組織の暗部までを知り尽くした、一生闇に葬り去っておきたいはずの存在である。
それをたとえ、逮捕の功労者。そして上層部に並ならぬパイプを持つ人間とはいえ、今口にした彼女の言葉を借りるならば一介の執務官風情が、そうやすやすと面会を許可されるなどまずありえないことなのだ。
裏を返せば、それほどのことをしてまで直接顔を合わせて行うべきなにかが、そこにはあるということ。
 
警戒を崩せるわけもない。するなというほうが無理というもの。
生憎と、こちらの意思は変わらない。何を訊かれようとも、黙秘を貫くだけだ。
 
「そちらの質問にはすべて、黙秘を貫くととうの昔に伝えてあったはずですが」
「だから、そういうのじゃないんです。今日はちょっとした報告と、届けものに立ち寄らせてもらっただけですよ」
 
ちょっとした。立ち寄らせてもらっただけ。そんな、聞く側からしてみれば白々しいと切り捨ててしまえる言葉が並ぶ。
 
「届け物?」
「はい」
 
だから、ほんの言葉尻の気になった単語を彼女の言った言葉そのままにつぶやいただけだった。
けれどウーノの漏らした声に対し、まさにそれこそがキーだといわんばかりに金髪の執務官は頷いて。
 
小さな、箱を取り出した。
 
薄水色に着色された合成樹脂製の表面の、何の変哲もない小さな箱を自身の手に提げた手提げバッグのうちからそっと、ウーノの前に差し出して。
そして壁のインターフォンを鳴らし、表に待機しているはずの守衛を呼んだ。
 
──『物品の囚人への受け渡しは、事前に許可を得たものであろうと、守衛の立会いの下に行わなければならない』。
 
今まで気にも留めてこなかったその細則に思い至って初めて、彼女がそれを自分に渡そうとしているのだとウーノは気づく。
程なく入ってきた守衛へと、黒服の女性は微笑みを向けた。
それまでウーノに見せていたものと寸分違わぬ、ただ向ける対象の変化ゆえにその笑みの成分へと、労いの色を見えぬ程度微量にこめた笑顔を。
 
*   *   *
 
待ち合わせ場所の広場は、目的こそ違えどひとときにおいては同じ用向きにと集まった人々が多く群れている。
それぞれの待ち人の到着までの時間を、思い思いに消費していく。休日ともあれば赤の他人たちのその行動が重なるというのも、無理なからぬことだ。
 
中央の時計台が、正午を告げる。軽快な電子音が過去の著名な作曲家の遺したメロディーを模して、広場の各所に配されたスピーカーからあふれ出す。
 
「すまんな、遅れたか?」
 
ストライプの長袖Tシャツに、フードつきのベスト。春の末にふさわしい薄すぎず厚すぎぬ格好の妹は、声をかけるより先にチンクへと手を振って自身の位置を示していた。
後ろに、更にみっつ。こちらに気付き顔を上げた他の妹たちの姿を従えて。
やってきたチンクたちも同じく三人組、つまるところ人数的にはあと一人で、全員が揃うわけだ。
 
「んーにゃ。どっちみちノーヴェがまだっスから。さっき、遅れるって連絡があったっス。書類切り上げるのに手間取ったらしくて、これから出るって」
「そうか」
 
袖をまくったYシャツ、ジーンズ。半袖のTシャツにキャミソールのワンピースの下はデニムの七分丈。
セインとディエチが、同時に時計のほうへとウェンディの後ろで目を向ける。
 
「まあ、気長に待つさ。時間はまだたっぷりあるしな」
 
よっこいしょ、と。時計台の周囲に造営された街路樹の花壇に、チンクは腰を下ろす。
 
なんといっても、チンクにとって──いや、チンクと、ディエチと。セインにとってははじめての休暇なのだから。
あわてず、騒がず。じっくりと味わって、自由を得た姉妹皆とともにそのはじめての経験を噛み締めようと彼女は思っていた。
それぞれパーカーにバギーパンツ、ニーハイソックスを覗かせるミニスカートの上にはキャミソールの双子たちが、しっかりと手をつないだままそれに続く。
 
「今頃はたぶん、フェイト姉さまがセッテや姉さま方にも届けてくれていると思います」
 
ディードが、言った。誰からということもなく、遠い空を一同は見上げていた。
 
空より、遠く。自分たちにはけっして届かないその先に。
黄金の閃光が確かな疾さを以って届けてくれているであろう、想いの結晶たちのことを思い浮かべながら。
 
自由とは異なる道を選んだ姉妹たちの顔を、心中に呼び起こしていた。
 
*   *   *
 
目の前に差し出されたそれを、蒼い長髪の戦闘機人は訝しげに眺めている。
 
「……これは?」
 
手に取ることもなく、しげしげと。
そんな彼女へと、繰り返すようにフェイトは自分の手にした小箱を差し出す。
 
「私のところでお預かりしている……あなたの妹。ディードから」
 
ケースを選んだのは、オットーです。そう、付け加える。
 
しばしの躊躇が、箱を突き出された彼女の指先を虚空に彷徨わせていた。
フェイトは細く白い指が受け取るのを、ただじっと待つ。
 
ほどなく、掌が軽くなる。両手に抱えるようにして箱を引き寄せた彼女はやはり、自分が手にしているのが何であるのかを理解し切れていないようであった。
 
「ディードが、はじめてうちの艦にやってきたときのことです」
「?」
 
上、下、側面。水色の樹脂で組まれた箱を眺め続ける彼女へと、言葉を投げる。
 
それは、過去の記憶。かつてとはいってもほんの数ヶ月前の新しいものではあるけれど、強く印象に残っている。
 
「艦の食堂の料理に、あの子。不思議そうな顔をして驚いてました」
 
──“料理って。作る人によってひとつひとつ、こんなにも違うんですね”、って。
 
フォークの先に鶏肉を刺したまま、長い黒髪の彼女は、呟いていた。
 
「スカリエッティのラボでは。ナンバーズたち皆の食事は、あなたが作っていたそうですね。お上手だったと聞いています」
「……それが、なにか?」
 
蓋は、デフォルメされた自動車の描かれた蒼いゴムバンドによって留められていた。
フェイトに言葉を向けられた彼女の目は、それとフェイトとの間を上へ、下へ。数度にわたり移ろい続ける。
 
やはりまだ、こちらの意図するところはウーノには飲み込めてはいないようだ。
 
「開けてみてください」
 
彼女の手の中にあるものが何であるか、フェイトはその正体を知っている。
 
蒼い箱とバンドを選んだのは、先ほど言ったとおりオットーだ。
寡黙で無感動な彼らしく、こういうのは不得手だからと戸惑っていた。そうはやてからは聞いている。
そして、その中身は双子のもういっぽうの片割れである、ディードによるもの。
 
「今度はあなたに食べてもらいたいって。そういってディードが一生懸命、作ったお弁当です」
 
バンドをはずし、蓋を開いた女性にフェイトは告げた。
かわいらしい、小ぢんまりとした箱の色とりどりの中身が彼女の視界のうちに晒されると同時に。
 
怪訝であり困惑気味であった瞳が、その先に開かれた蒼い箱のうちにある妹からの贈り物を捉えたとき、一瞬見開かれたのをフェイトは目にした。
こちらの見間違いや勘違いなどでは、けっしてない。たしかにそこにあったのは、純粋な驚きであったように見えた。
 
*   *   *
 
鶏肉の、唐揚げ。チーズを乗せた茹でブロッコリー。小さなハンバーグに、人参やピーマン、玉葱の微塵切りとともに適宜に炒めたピラフ。
どれもこれも、フェイトとティアナが一から調理法を教えたものばかり。
一番上の姉の得意料理だと、教授を請うたディードが習得を望み。二人がかりで彼女に仕込んだ品々が、小さな弁当箱の内に所狭しと敷き詰められている。
 
「実はここに来る前既に、ほかのナンバーズたちにも届けてきたんです。あとはあなたと、スカリエッティだけ」
 
じっとその料理たちに目を注ぐウーノがこちらの言葉に耳を向けているかどうかはわからなかった。
けれど、伝える。声を紡ぐ。そこに込められたディードの……いや、彼女たち、全員の意思を。
 
「あなたの妹たち七人が最後の一人まで全員更正プログラムを終え、社会復帰を果たして──……今日でちょうどひと月なんですよ」
 
チンク。ディエチ。セイン、ノーヴェ。ウェンディとディード、それにオットー。
いまだ獄中にいる四人、そして生みの親たるジェイル・スカリエッティと道を違えることを選んだ七人にとっては同時に、全員が自由を得てはじめての、同じ休暇の日でもある。
 
はじめに言い出したのはノーヴェだと、ディードから聞いた。
いる場所は違っても、同じ姉妹なのだからと。その日四人へとなにかを贈りたいと、彼女から更正施設最後の夜に姉妹全員へ相談があったことを。
自己満足でも、こちらの勝手でもいいからなにかやりたいと、彼女は言っていたという。
 
自身数度しか会ったことのない彼女の姉に対して失礼だとはわかっているものの、それを聞かされたフェイトはちょっと意外だと思った。
あのはねっかえりの気の強い子が、そういうことを言うんだな。微笑ましいような、喜ばしいような。そんな感覚を覚えた。
 
「それぞれに、贈り物を用意して。私は要するに、その運び屋です」
「……トーレたちは? 受け取ったのですか?」
 
いい読みだ、痛いところをついてくる。苦く笑ってフェイトは小さく頭を振る。
 
「まともに、私の目の前で受け取ってくれたのはセッテくらいです」
「セッテ? あの子が?」
「はい」
 
ディエチからのものという新しい眼鏡に、四番・クアットロは鼻で笑い飛ばし見向きもせず。
三番のトーレはフェイトの訪問に対し顔も向けず、応答すら返さず。背中で拒絶だけを表して。
フェイトはそんな彼女に対し、ウェンディとセインから預けられたヘアピンの紙袋を、ただベッドの片隅へと置いてくることしかできなかった。
 
ただ、唯一。無表情な長く淡い髪の少女だけは、ノーヴェからの贈り物を素直に受け取り、フェイトの前で開封して無言に眺めていた。
喜ぶでも、顔をしかめるでもなく。ただ、じっと眺め続けていたのだ。
 
自分の意志で、笑える世界を歩むこと。
戦いのさなかにティアナからその生き方を教えられ諭されたノーヴェからは、一通の手紙がさらに彼女へと向けられて同封されていた。
 
同じ、自分の意志に従った道であろうとも。はじめて生まれた生の感情を原動力として選んだそれが『束縛』であった妹に向けて。
自分の中に生まれた思い、願い。そこから今日に至るまで歩んできた道を、彼女はセッテに向けて綴っていた。
 
ブルーのローラーシューズを模したキーホルダーを見ながらセッテはいったい、何を思っただろう。
『自ら』という同じ行動への理由をもちながらも道を違えた姉からの言葉と贈り物を、彼女はどう受け取ったのだろうか。
 
「これから、チンクの手紙を渡しにいきますが……どういった反応をするでしょうね、彼は」
 
やはり、顔に出るのは繰り返しての苦い笑い。
 
我が子からの手紙を受け取ったときに彼が見せるであろう反応にあまり過度な期待はできないだろうという予想を、フェイトはウーノにまで隠そうとはしなかった。
 
*   *   *
 
わすれてました、と。彼女は再び鞄の中身を右手に漁る。
取り出したのは、丸みを帯びたスプーンや、フォークや。それらが樹脂のケースにひとつにまとめられた、弁当用の食事道具のセット。
 
これもオットーが選んだんです、と金髪の彼女は笑う。
たしかにウーノの知るオットーの印象からしてみても、些か不釣合いに可愛らしいデザインのものに思える。
そのケースの上には同程度のサイズをした生成りの便箋が、自分に向かっての宛名とともに添えられていた。
裏返せばそこには、オットーとディードの名が連名で差し出し主として記されている。
 
「食べてあげてくださいね。ディード、ほんとうにがんばっていたんです」
 
屈んで、ウーノの膝にそれを置き。用の済んだ執務官は立ち上がり、踵を返す。
 
「待ってください」
 
とっさに、呼び止めていた。特になにか用があって引き止めたわけではない。
けれど衝動的に、つい。彼女の退出を遮らずにはおれなかった。
 
自分らしくない行動だと、ウーノは己の迂闊な口の滑りようを思う。
 
「はい?」
「……」
 
言葉に、詰まる。何を言えというのだ。ありがとう、か?感謝します、か?
 
「そうそう。そのお弁当」
「?」
「ハンバーグの横に、黄色いものが入っているでしょう」
 
呼び止められた側からの言葉があったおかげで、不自然な間が空くことはなかった。
いわれたとおり見れば、折り目正しく小さな弁当箱に詰められた料理たちの中に、黄色いブロックのような卵料理と思しきものが埋もれている。
 
ウーノにとっては、それは見たこともない料理だった。オムレツのような、そうでないような。
これはいったいなんだろう。あの子達につくってやった覚えもなければ、そもそも名前すらでてこない。
 
「卵焼き、っていうんです、それ」
「卵焼き?」
 
ごくありふれた単語の組み合わせであるにもかかわらず、耳慣れぬ響きにウーノは首を傾げる。
卵を、焼く。卵焼き。単純すぎて逆に実像がつかめない。
 
一度立ち止まった足を踏み出し、スライドドアの枠に載せ。僅かに首を振り返らせてフェイトは最後に言い残した。
 
「私が、教えました。私の育った世界での……皆がよく知る、“家庭”それぞれの味がある。そんな料理のひとつです」
 
ディードの味付けは、甘くって。とっても、おいしいですよ。
 
声だけが、スライドドアの内側に残った。
彼女に言われたとおり妹のつくった卵料理の味は、鼻の奥が不思議とむず痒くうずくくらいに甘かった。
 
そしてなぜだか、甘いのに──塩辛くもあった。
料理そのものより、そう味覚を騙し感じさせるなにかが彼女自身の中から、滲んで余計な味付けをしていたのかもしれない。
 
自分や、父なるドクター。姉妹たちを捕らえた金髪の執務官に対してはじめて、ウーノは感謝の念を評してもいいかもしれない、という気分になった。
 
もう行ってしまったけれど、万が一もし、次というときがあるのならば。
そのときは言葉にして言ってもいいかもしれない。
 
妹の贈り物を自分の下に運んでくれた、ただそのことだけに対しては。
 
*   *   *
 
「あー、くそ!! セカンドのやつ、面倒な書類ばっかおしつけやがって!!」
 
走る。ただひたすら、全力全開に走る。
 
愚痴を喚きながら道行く人々の合間を駆け抜ける少女の四肢を包むのは、飾り立ても何もないスウェット、スポーツウェアの上下。
前面のファスナーはとっくに暑さから大きく開け放たれ、長袖も肘まで捲り上げられている。
 
『Your ability shortage is a cause. Ms.Subaru should have been allocating you an easy document to process.(それはあなたの能力不足が原因でしょう。ミス・スバルは比較的処理の容易なものを優先してあなたにまわしていたはずです)』
 
開かれたスポーツウェアの内側、白いTシャツの胸元。そこには六角形の宝石をヘッドに頂いたペンダントが揺れる。
 
それはいつか設計図として彼女の前に提示されていた、ともに自由の道を走るべき相棒。
 
「やっかましい!! あたしはまだああいう仕事は不慣れなんだよ!! 悪いか!!」
『Taking a defiant attitude is not good.(開き直ってどうするのですか)』
 
ペンダントは、その主たる少女に辛辣な言葉を向ける。
もっともな意見をつきつけられ、駆ける両足を止めることなく走り続けながらも少女は怒鳴り返す。
これが常日頃の、彼女と愛機との間にあるやりとり。
 
彼女らは急いでいた。現在進行形で自分たちの遅刻している、待ち合わせ場所への到着のために。
待たせ続けている姉妹たちのもとへ、一分でも一秒でもはやく辿り着くために。
 
「ちっくしょおおっ!! せっかくのチンク姉の初休暇だってのに服も選べなかったじゃないかよっ!!」
『Taking a defiant attitude is not good.(自業自得です)』
 
点滅をはじめた信号の横断歩道を、一気に渡りきる。そこの曲がり角を抜ければ、あとは広場まで一直線だ。
 
『Am I handled?(私を使いますか?)』
「じょーだん!! 始末書食らうのあたしだろーが……よっと!!」
 
宝石は、彼女の相棒。パートナーたるにふさわしい本来の姿を別に持っている。
少女が遠く離れた妹へと贈ったキーホルダーと同じ、蒼く疾い。どこまでも駆け走り抜けることのできる、車輪の疾駆者としての形を。
だがこんな街中で、しかも私的な待ち合わせのためにそれを使用するなど以ての外。
自分の足で──両足で、少女はひたすらに駆ける。
 
時計台が、見えた。特別救助隊の隊舎を出た時間から差し引いて考えれば、かなりの好タイムだ。
無論これが陸上競技で、計測する者がいればの話だが。
どのみち遅刻であることにはかわりない。急いで当たり前、全力でとばして、当たり前。
 
「チンク姉っ……わ、と、とっ!!」
『be careful(気をつけてください)』
 
その根元に、姉妹たちの姿を見つけ名前を呼ぶ。安心した瞬間、両足同士がぶつかってもつれ体勢が崩れる。
 
寸でのところで転倒を踏みとどまり、指先を足元の地面について前のめりに両足をふんばった。
 
「あっ」
 
──スウェットの内ポケットから、彼女の身分を示すIDカードが滑り落ちる。
 
陸士108部隊所属。湾岸特別救助隊第12分隊預かり、ノーヴェ。登録デバイス名、サイクロンキャリバー。ガンナックル。
緊張の面持ちをファインダーへと向けたその写真は、二等陸士の身分証を拾い上げる彼女自身のもの。
 
意図せず、自分自身のつくった視線と彼女は正面から目を合わせるかたちとなった。
 
「なにやってるっスか、ノーヴェー。とっくにみんな集まってるっスよー」
「っと」
 
自分が自分を見つめ、自分が自分に見つめられる。わずかなひとときのその出来事が、無性に気恥ずかしいものに思えてノーヴェは身分証を裏返す。
転倒しかかった自分へと注がれる、広場に集まった通行人たちの視線を感じながら。彼女はそれがもとあった上着の内ポケットへと、IDカードを押し込む。
 
スニーカーの底が、アスファルトを蹴った。
少女たちは、籠の外にいる。自分たちで決め、歩む。そんな責任を伴った自由を全身で受け止めてたしかにそこにいる。
指標となる者も、命ずるものもない。自分で選んだ道を、自分の意志で七人は己の地図上に記していく。
 
空には、空の。籠には籠の生き方がそれぞれに、ある。
それぞれの生き方を、戦闘機人の少女たちは歩んでいく。
 
 
 
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ノーヴェというかウーノ姉様メインになった気がしないでもない。つweb拍手