合同誌にのっけたもの。

 
の改稿(というか丸々書き直しが終わったんでひとまずのっけてみる。
初出時(リリマジ4、DUSTBOXさんにて頒布)のものがあまりに納得いく出来でなかったので。
こちらには横書きで掲載という都合上、多少の変化はあると思いますがこれを基本線としたものが書店委託分では掲載されます。
 
てわけでどぞー
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『九月のソーダ
 
 
 
家を早めに出てきた判断は、結果的に正解だったのだろう。タイミング的にはおそらく、これ以上ないというくらいに非の打ち所のないものであったにちがいない。
 
左手に提げる白い箱のマロンパイは、レールウェイの駅前につい最近オープンしたばかりの評判店の人気商品。本来なら十分二十分の行列に並ぶ程度では済まない。
季節はまだ残暑の厳しい初秋、おそらく一本でも便が遅れていたならば今頃、照りつける太陽の下冷房のない店外に長く続く行列の一部となる苦行を甘んじて受ける羽目になっていたはずだ。
だが、そうはならなかった。それ即ち、ある意味自分は勝者であるということ。遅々として進まない列へと並ぶことも、目前での完売宣言に悔し涙を呑むこともなく。
 
自分はこの勝利の証──焼きたてのパイを手にしている。家を出る時間、ルートのチョイス。どれもベストだったというわけだ。
店に足を踏み入れた瞬間、そこに待っていたのはエプロン姿の店員がショーケースに納める天板上のパイの群れと、焼きたての文字に裏返される売り切れの札だった。
選んだのは、中くらいのサイズ。数は1ホール。大人二人、子供一人。少々量的には多いかもしれないが三人が三人とも甘いものは大好き、別腹である。おやつとして食べるにはこんなものだろう。余ったら余ったで、あとで自分が帰ったあとにでも二人に食べてもらえばいい。
 
「やあ、いらっしゃい。フェイト」
 
──そう、フェイトは思っていた。なのはと、ヴィヴィオ。二人と自分、あわせて三人分にと買ってきた。だからというわけではないけれど、このイレギュラー要素──予想だにしなかった四人目という状況には、少々戸惑わざるをえなかった。
あくまで。あくまで今日は親友と少女との三人であったはずなのに。なのはとヴィヴィオの住むマンションの一室、その開け放たれた扉から覗くのは同じく幼馴染み、親友ではあってもサイドポニーの彼女ではなく、眼鏡をかけた中性的な容姿の、余分な肉のない細い青年の顔。
 
「……ユーノ?」
「フェイトママ、いらっしゃいー」
 
その背後からひょっこりと現れる、同じ色味のプラチナブロンドに染まったやはり長い髪。こちらは、背中では結ばれず。右と左でひと房ずつ結われている。そうやって顔を見せた少女こそが、本来想定していた『三人』のひとりだった。
 
ヴィヴィオ
 
青年に続き、彼女の名前を呼ぶ。今度は右肩上がりのニュアンスから、右肩下がりの発音で。
幼い我が子は青年の横を抜けて、ぴょんととびついてきた。彼女がいるのなら、このように何の不思議さも見せず歓迎をしてくれるのなら間違いはない。
けっしてこちらが来訪時間や、訪ねるべき部屋の番号を誤って記憶していたわけではないということだ。
 
「なんで、ユーノが?」
 
差し出した土産の箱を受け取ったヴィヴィオが、空いたもう一方の手で引っ張ってくる。
ひと月、ふた月ぶりの彼女の姿を確認したからか、不思議と満ちてくる安堵の気分を呼気として吐き出すとともに、フェイトは青年の出してくれたスリッパをひっかけつつその彼自身へと言を向ける。
 
青年はヴィヴィオとフェイトの、中間にいた。けれどそれでいて廊下を進む二人の歩行の邪魔にならぬよう絶妙の歩幅を維持しながら、簡単に答えた。
 
「なのはが午前中、うちに来てね。一緒にどうかって誘われたんだ」
 
ちょうど予定もなかったしね。他の司書たちに任せてきた。
 
なるほど、と。少し前を行く青年の説明に、フェイトも頷く。そういうことならば、納得である。
そんな彼女ら彼らの歩む先、廊下の向こうのダイニングからは、既に肉を焼く香ばしい香りが漂ってきている。
昼食を一緒に、ということであったからそれも当然といえば当然ではあるが、同時に朝を軽めにしてきてやはりよかった、とも思う。
さすがは喫茶店の娘というべきか、普段ホームキーパーのアイナにまかせきりにしているのがもったいないほど、なのはの料理の腕はうまい。今の腹具合ならば、堪能し損ねることもないだろう。
 
「なのはママー、フェイトママきたよー」
 
がちゃりと音を立てて、ヴィヴィオを先頭にダイニングへと入っていく。芳しい香りから連想される想像に寸分違うことなく彼女は結んだエプロン姿でキッチンに向かい、フライパンを片手にしていた。
 
髪もいつものサイドポニーではなく。料理の邪魔にならぬよう、背中でゆるく一本に結んで。
まるきり、フェイトのすぐ隣にいる青年と同じ髪型だった。その姿格好で親友は、もうすぐできるからと朗らかに笑った。
 
*   *   *
 
テーブル上の配膳も、半ばまで済んでいた。氷を満載した中心のクーラーには、大小の瓶が二本、温度差に汗をかいて埋もれている。
 
色合いと、ラベルの銘柄と。覗いてみて片方は、海鳴から送ってもらったのだろう、スパークリングタイプのワインだとわかった。
もう一本もこれまたラベルから、未成年であるヴィヴィオのための炭酸飲料だと読み取れる。
 
「はい、フェイトママ」
「ありがとう、ヴィヴィオ
 
ヴィヴィオの運んできた皿を、受け取る。そう、ママ。自分もこの子にとっては母親なのだ。血も、戸籍も。いずれも異なるにしろ彼女はそうやって呼んでくれている。彼女には母親と呼ぶ人間が、二人いる。
 
「ユーノせんせいも、はいっ」
 
ならば、父親は。この子にとってパパと呼ぶべき人間は果たして一体、どこにいるのだろう。
 
……いやいや。多分、ここにいる。
 
そう、目の前で繰り広げられる光景に対してフェイトは思わずにはいられない。皿を渡す少女と、受け取る青年。二人はなのはにとっていずれも、かけがえのない存在だ。
だとすればその二人、彼と彼女と間にある絆の形は一体、どうなのか。また二人はどうしたいと思っているのか。
気にならずにはおれようか、いや、ない(反語)。
 
「ん? 何?」
「……別に。まだ、ユーノ“先生”のままなんだなって思っただけ」
「へ?」
 
遠まわしの独り言に偽装した探りは気付いてはもらえず、あっさりと無意味な結果に終わる。
きょとんとした両目を向けられてしまっては、出てくるのはもはや溜め息ばかり。
 
「ごめーん。フェイトちゃん、ユーノくん、どっちかちょっと手伝ってー」
 
私が行く。そういってフェイトは立ち上がる。オーブンのグラタンを見てくれるよう頼まれ、壁掛けにひっかかったミトンを手に取る。
 
「最近、わりと会ってるんだ?」
 
串を表面に刺して焼け具合を確認しながら小声で問う。主語を補足するまでもなく、問いの内容を彼女は理解してくれた。
……尤も、その意図や真意までは汲んで把握してはくれないけれど。性格的なものだから、仕方がない。
 
ヴィヴィオがすっかり懐いちゃって、ね。あんまりおしかけて、迷惑かけてもいけないとは思うんだけど」
「ふうん」
 
グラタンはチーズの香りも芳しく、いい感じに調理が進んでいる。けれどそれを作っている当の本人はというと、未だ彼との仲に進展はないらしい。
料理じゃないんだから。じっくりと火を通しすぎだと、二人に対してフェイトは正直に思う。
 
「フェイトちゃん?」
 
思わず、今日二度目の溜め息が漏れた。ユーノといい、なのはといい。この二人はいつまでこんな状態を続ければ気が済むというのだろう。
やきもきさせられる周囲としてはたまったものではないし、なにより今はもう、二人の間にはヴィヴィオがいる。もう、その関係は当人たち二人だけの問題でもないというのに。
 
*   *   *
 
そういう風に感じていた。だから不意にそんな悪巧みを思いついてしまったのかもしれない。それはそう、ほんの些細な、ちょっとした小さな悪戯。
それでいて波ひとつ立たない彼女ら二人の間に、もしかするとソーダ水の内に込められた細かな炭酸の気泡のように心地よい刺激として変化をもたらしてくれるかもしれない、微々たる仕掛け。
 
鳴らされた呼び鈴の応対にユーノが出て行き、書留の判子を求められてなのはも既に扉の向こうにスリッパの音とともに消えていった。それが呼び水となった。
 
残されたのは自分とヴィヴィオだけ。チャンスは、この一瞬。認識と発想と時を同じくして、フェイトは動いていた。
ちょいちょい。とてとて。ひそひそ。交わされた会話の中身や、誰がどう動いたのかは秘密である。
 
扉の向こうから重そうなダンボールを抱えたユーノが、なのはを従えて再び姿を現したのはその直後だった。
入ってきた二人に、ヴィヴィオは寄っていく。ほんのちょっぴり胸を高鳴らせた、赤みの差した頬で母と青年とを見上げる。
 
計画通り。娘の見せたその動きに、背中の後ろでフェイトはぐっと親指を立てた。
なに、大したことは指示していない。フェイトがやったのは娘に対するほんの小さなアドバイス、ひとつだけだ。
 
大好きな気持ちを、いっぱいに込めて。隣のなのはママにも聞こえるようはっきりした声で大切な人のことを呼んであげるよう。ただそう教えただけなのだから。
いつもの、『ユーノ先生』ではなく。『ユーノパパ』って。そう呼んであげなさい、って。
呼ばれた瞬間、一組の男女はこれは見事というほど同時に、きれいに。ぴたりと静止した。
 
*   *   *
 
それからはほんとうに、こみ上げてくる笑いを押し殺すのが大変というより他になかった。
最初の硬直が解けた後の狼狽は、ほんのはじまりにすぎない。
 
まずはユーノが両腕に抱えたダンボールを取り落として、盛大な騒音を周囲に撒き散らし。連鎖して駆け寄ろうとしたなのはが扉の角に足の小指をぶつけて蹲る。
 
心配したユーノと、大丈夫だからとなのはの伸ばした手と手がほんの少し触れ合って、慌ててお互い引っ込めて。
そこに焼き上がりを告げるオーブンの音が重なったものだから、締まらないことこの上ない。
あまりにそのリアクションが二人そろって、純すぎて。見ている側としてはそれが可笑しくて。
正直言って口元を押さえて尚、あふれる無声音の笑い声に肩を細かに痙攣させずにはいられなかった。
 
──尤も、、遠慮や手加減をしてあげるつもりはなかった。追撃は間髪を入れないからこそ、有効なのだ。だからとっととグラタンをテーブル上に運んで、フェイトは席につく。
ふたつ同じ椅子が並んでいる側ではない。ヴィヴィオのための、子供用の高椅子の隣へと。フェイトがそこに座ってしまえば必然として残るのは隣り合うふたつのみ。
 
「なのは。その炒め物も、もういいんじゃない?」
 
今はまだ二人、動揺しきったまま気付いていない。ぎくしゃくとコンロに向かったなのはへと、背中伝いに言葉を投げる。
肉も野菜もいい具合に既に火が通っているはずだ。せっかくの料理を焦がしてしまってはもったいないということもある。……今の彼女には言っても無駄な気はするが。一応言うだけ言う。
  
ああ、うん。そうだね。ごめんごめん。言いながらなのはは、お約束というべきかやっぱり、コンロのスイッチを全開に回していた。
 
「あつっ!」
「なのはっ?」
 
うっかり、フライパンの縁にでも指をかけて火に当たってしまったのだろう。椅子の背の向こう側での小さな悲鳴と、青年の声とのやりとりが微笑ましかった。
 
……付き合いの年月にもかかわらず初々しい二人には、この『炭酸』は少々、きつかっただろうか?
 
「フェイトママー」
「うん?」
「なのはママとユーノパパ、どうしたの? お顔、真っ赤にしてるよ?」
 
でも、まあ……うん。必要なことだ。そういうことにしておこう。
そもそも、こんな慣れない反応がいつまでも続くようであってはいけないのだから。そのために、自分はヴィヴィオの背中を押した。けしかけた。
 
ワインと、ジュース。クーラーの氷の中で汗をかいている二本を眺めながら、フェイトは愛娘を抱き寄せる。この子は、私の子でもあるんだから。二人にはしっかりしてもらわないと困る。
 
母親として。そして、父親として。
 
「そのうち、わかるよ」
 
ワインクーラーの中に満たされた氷は、こころなしか先ほどよりも解けているように見える。きっとそれは、室内の気温が俄かに上昇したせいなのだろう。
 
「ユーノパパがヴィヴィオの、ほんとうのパパになってくれたら。そのときにはきっと、わかるよ」
 
ただでさえ残暑の熱気が外にたゆたう、九月の日なのだから。約二名ほどものすごく急激に体温の上がった人間がいる室内ともなれば、それはもう氷だって溶ける。瓶の中の炭酸だって、細かい泡の粒とともに揺れる。
 
暑さを洗い流す夕立ちでも、一雨きてくれれば別だろうが。その雨によって地が固まってくれれば、尚良い。
 
 
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