今回も一次創作でおま。

 
や、なんか一次のほうが筆がすすむ・・・なぜだ。
でわけで二回目。一回目はこちら。
 
 
 
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『Pulcherrima 〜妹と、異星人と〜』その2

2/
 
 
 給料が入ったばかりのうえに、今日はお休み。というわけで、不思議な居候二人が転がり込んできた翌朝の朝食は、なかなかにリッチなものだった。
 ゆでたジャガイモとスライスした魚肉ソーセージとを混ぜてマヨネーズで合えたポテトサラダを中心に盛った、野菜のサラダ。卵は残っていた分を全部使って、オムレツを人数分こしらえる。おまけに主食はトーストからひと手間加えて、チーズを上に載せて狐色にオーブンで焼いた。
 大体、給料日直後の休日はこんな具合に朝から料理がテーブル上に並ぶ。作って、食べる。その一連が、枕にとっての憂さ晴らしのようなものだった。
「……」
 自分と、少女と。それと小さな宇宙人のためにそれぞれカップを用意し──ひとつは無論、昨日も使用したものと同じ、コーヒーフレッシュの容器だ──……、湯気の立つコーヒーを注いで座卓に持っていくと、律花がまるで珍しいものでも見るような目で、並ぶ料理の数々をしげしげと眺めている。
「ん、どーした」
「べ、別に。男のくせに、しっかり自炊してるんだなと思っただけだ。几帳面なんだな、意外と」
「あー、まぁ。なんだかんだで、もう一年半くらい一人暮らししてるからな。半分趣味みたいなもんだ」
 昨晩は晩くまで色々と話し込んでいたにもかかわらず、三人揃って朝は早かった。さすがに女の子を床に寝かせるわけにはと押入れから出してきた来客用の布団も、きちんと畳まれて部屋の隅に押しやられている。
 マグカップを手渡し、律花の隣に枕も腰を下ろす。熱いから気をつけろよ、と。テーブルの縁に腰掛けたレイヤにも、指先でつまんで特製のカップを差し出した。
 リモコンを操作し、テレビの電源をオン。朝のニュースに、チャンネルを回す。
「……コーヒーか」
「なんだ? 苦いの、嫌いか?」
「う」
「あ、私はブラックで平気よ」
「りょーかい。……ほら、牛乳」
 下ろした腰をあげて、冷蔵庫からとってきた牛乳を注いでやる。混ぜても溢れない程度に、それでいてできるだけなみなみと。多少ぬるくはなるが、これで同時に飲みやすくもなるはずだ。
「っあ……その、えと……ありがとう」
「いーえ」
 どういたしまして。昨日から数えてもはじめて聞いた気のする少女からの礼の言葉に応え、自分のカップにも少し注ぐ。枕自身は甘くしないと飲めないというほどではないが、ブラックが好きというわけでもない。あまりブラックが身体によろしくないものであるということも、一般的知識として知ってはいる。
 枕の注いだ牛乳とコーヒーとをスプーンでかき混ぜて口をつけた少女は、それでもまだ苦く感じるのか、少しばかり額に皴を浮かべて、ちびちびと啜るようにそれを飲み下していた。
「それで? 今日はどうするんだっけ?」
「昨日言ったでしょ。パトロールよ、パトロール
「だっけか──……って、こら。なに野菜を除けてるんだ、律花」
「う……な、なに呼び捨てにしてるんだよっ! 別に残したっていいだろ! 嫌いなんだよ、生野菜……」
 律花の取り皿にポテトサラダ以外の野菜が載っていないことを見つけ、枕は叱る。反発するように言い返してくる彼女はご丁寧に、オムレツの皿にほんの数枚添えておいたレタスについても一枚一枚、それこそ殆ど一センチ四方に満たないようなサイズのものまで脇に除けている。
 コーヒー、嫌い。生野菜、食べられない。やっぱり、お子様だ。見た目どおりのお子様だ。でもなければ──、
「どこのボンボンのお嬢様だ、お前は」
「やかましい」
 むきになったり、不機嫌になったときのクセなのか、昨日見た記憶のあるものとほぼ同じ動作で、ベーコンをほおばりながら律花はそっぽを向く。
 袖と裾のやや余りがちな、多少折り返したほうがいいのではと思えるサイズのオレンジ色をしたパジャマの上下。着痩せとかそんなレベルでなしに、その下にある少女の肢体はまったく起伏を感じさせない。
「──にしても。適応力高いんだな、お前」
「は?」
 枕から少女に対する呼びつけかたがお前なら、少女からもお前よばわり。同い年であるにも関わらず、年下から軽んじられて扱われているような感覚が拭えないのは、やはり彼女の容姿による雰囲気のせいか。
 コーヒーを啜って、ごくん。また、眉間に皴。あとでなにかジュースもらえるか。了解。そんなやりとりを間に挟みつつ。
「わたしは丸二日かかったぞ。レイヤのこととか。自分が世間的にはもう死人扱いになってることとか、全てをきちんと理解するまで。それだってまだ、完全に納得したわけじゃないしな」
 正直言って、という風に律花はぼやいた。
 パン屑でぱさついて粉っぽくなった指先を空いた皿の上で軽く払いながら、そんなものかと枕は思う。
「まあ、想定外のことにはわりと慣れてるから」
「そうか」
「ちょっと昔に、とんでもなく想像してないことが突然起こったから……かな。色々と」
 そう、色々と。それ以上は、ちょっと人には言えないこと。言いたくないこと。そんな出来事があったのは確かだった。……少なくとも会って二十四時間も経っていないような相手に、話すことじゃない。
「ごちそうさま」
 思考している間に、おたまをフライパン代わりに使って枕の作ったオムレツをきれいに平らげて、レイヤがフォークを置く。
 ミニサイズとはいっても、彼女が両腕を左右に伸ばしたくらいの大きさはあるから、ぺろりと平らげる辺り結構な大食漢(大食女?)である。
「ま、深く詮索はしないけど。とっとと食べてさっさと出かけましょ。まだ道中で説明しないといけないこともあるし」
 それもそうだ。律花も枕も、揃って食事の残りを片付けにかかる。
「野菜、食えよ」
「いらない。こんなのバッタや青虫にでも食べさせてればいいんだ」
「お前ね……」
 カマキリにでも、なんて鈴虫並のことを言っていればどこぞのもじゃ毛のバス芸人、騙され芸人かといったところだが。
 律花は、細かいところまで、きれいに野菜をフォークの先を使い選り分けていく。食べろと指摘する枕──好き嫌いしてたら大きくなれないぞ、と心中で密かに思っていたのは内緒だ──に対する彼女の返事は、あくまでもNOだ。そうか。そんなに嫌いか。
「そんなことより、あとでお前あっちにいってろ」
「なんでだよ。ここは俺の家だぞ」
「着替えるんだよ! ずっとパジャマのままいさせる気か、お前は! 言っとくけど覗くなよ、いいな、絶対だぞ! 覗いたらただじゃおかないからな!」
「ああ……そっか。着替えか。……ん?」
 こちらが料理に立っている間にファスナーを開けたのだろう、ボストンバッグの上に確かに、幾枚かの着衣がやや乱雑に引き出されていた。
 そのうちの、ひとつ。僅かにボストンバッグの口から覗いている黒系統の色合いをしたものに、枕の目は留まる。
「なんだ、どうした」
「……いや、別に」
 高校の制服。学生服と呼ばれる類の代物。その上着のセーラーカラー。あのデザインの下にはきっと、チェック柄のプリーツスカートが入っているはずだ。
 昨日の話の中で、火災のあった高校と聞いて。認識としてはわかっていたつもりではあったけれど。
 自身の『嫌というほどに知っている』、それの視覚的映像に、僅かに枕は目を伏せた。
 ああ、ほんとうに。
 あの高校なのだな、と。実感させられる。
 思い出したいことも、思い出したくないことも。──彼女と同い年である自分が今、高校生をやっていない理由も、全て含めて、だ。
 地方局のニュースキャスターは、近隣の農家で作物が野生の動物の被害に遭ったという、平和このうえない瑣末な話題を取り上げ、淡々と伝えている。
 そういえばこの辺りも、そこそこ都市化が進んで賑わっているわりには、少し行けば意外に山が近いんだったか。被害を受けた農家は、災難なことだ。
「おい、聞いてるのか」
「あ、悪い。なんだっけ」
「覗くな、って言ってるんだ」
 あー、大丈夫。心配しなくても幼女趣味はないから。それは杞憂と言うものだ。心配するな、ロリっ子(外見のみ)。
 思っただけで、声にも表情にも出さない。ロリータ・コンプレックスという単語を知ったのは、中学時代にオタクをやっているクラスメートからだったか。
生返事を返しながら、どういった道筋を通ってどのように町内をまわるかを、枕は大まかにではあるものの、脳内で算段をつける作業へと入っていった。
 まあ、自転車なら一時間弱もあればまわりきれるか。所要時間も概ね見当をつけつつ、ルートを構築していく。
 リモコンで、テレビの電源を落とした。
「ジュースだっけ」
「え」
「欲しいって言ってなかったか」
 尤もその予測は、律花が自転車に乗れないという事案についてさほど加味されたものではなかったのだが。
彼女がただ乗れないというよりは、二輪ゆえに不安定な自転車の車上、それ自体に恐怖心を持っているということを枕はまだ、この時点では知らなかったのだから、仕方ないといえば仕方がない。
「オレンジでいいか」
「あ、うん」
 冷蔵庫へしまう牛乳パックと入れ違いに、一回り小さなオレンジジュースのパックをとりだして二人分のグラスに注いだ。
 結局、想定し算出していた時間のほぼ倍を、枕たちは町内を一周するのに消費することになる。
 じっくりと確実に町の位置関係を把握しておきたいという、それらしいレイヤの主張もさることながら。タイムスケジュールが押すことになったのはやはり、走り出した自転車のハイスピードに怯える、今はオレンジジュースを飲み干している少女への配慮が必要であったがゆえにであった。
 移動は結局、殆ど歩くのに毛が生えた程度の、とても自転車を使う意味があるとは思えないほどの低スピードでやらざるを得なかった。
それでも身体を硬くして必死にしがみついてくる彼女を荷台に乗せた枕の愛車が自宅であるこのアパートに戻ってくる頃には、もう時刻は夕方近いものになっていた。
 遥かに小柄な、一見小学生かと見まごうばかりの幼女にぎゅっと背中を抱かれて、町内をとろとろふらふらと走り抜ける十七歳の少年。
 目を、引かないわけがない。
 そりゃあもう、町を行き交う人々の視線が、気になって気になって。
痛いといったら、なかった。
 
 *
 
 そして、また翌朝。
 前日とほぼ同じ時間帯に、ほぼ同じように三人、目を覚まして。
 昨日真面目に町を見て回ったその姿はどこに行った、と言いたくなる体たらくで、布団に包まったまま今日のパトロールは午後からにしようとのたまうレイヤを強引にたたき起こし朝食のテーブルへとついた、ちょうどその直後である。
 玄関から、呼び鈴が鳴った。けっして、聞き間違いなどではなくはっきりと、電子的なインターホンの音が室内の空気の中を伝播していった。
 疲れた、だるい、もっと寝てたい。そのような言葉を連呼してごねていたレイヤも、一時ぼやきを中断し。しばし待つと、二度、三度。同じ音が繰り返される。そしてその間隔は、徐々に短くなっていく。
「新聞屋かなにかか?」
「いや。新聞はとってないけど」
「じゃあ郵便? って、なんかそうでもないみたいねぇ」
 ほう。おうし座にも、郵便があるのか。──と、心底どうでもいいようなことを枕が思う間に。
 続けて今度は、乱暴にドアノブを外からがちゃがちゃやる音が、騒がしく朝の空気に鳴り響く。当然、鍵がかかっているのだから外からそのようにしたところでけっして開くはずもない。
と、いうか。いきなりの訪問者にしては、いささか不躾だ。
 そう。それがいきなり訪れた──勝手の通じていない、見ず知らずの来訪者であるとするならば、だが。
「あ」
「?」
 だがさしあたって枕にはそうでない、こちらもあちらも勝手をよく知ったうえでそのような行為をやって、それで笑って許される相手というのに心当たりがあった。
 昨日からのごたごたしていたあれこれのおかげで、すっかり忘れていたのである。その存在が、本日早いうちから自分を訪ねてくるという可能性がかなり高い確率であったということについても。
 だから知っていたというよりは、思い出したというべきか。繰り返されるチャイム音とドアノブの音とが、それらの記憶を呼び起こしたといっていい。
 ドアの向こうの乱雑にノブをあちらこちらに回す音が途切れる。やがて代わりに聞こえてくるのは、外側から扉に鍵の差し込まれた音。最初は入れ損ねたのか、弾くような金属音が響き。次にはしっかりと奥まで挿入されたと思しき摩擦と捻りの音色が玄関から音のない部屋の内側に届けられる。
「律花。レイヤ。悪い、どっか隠れててくれ」
「は? なんだいきなり」
「いいから。説明が面倒だ」
 室内には、昨日と同じく三人分の料理の並んだ、まさに朝食真っ最中の食卓。これはまだいい。まだ、泊まっていた友達が帰ったところだと言い訳がつく。けれど。
 パジャマ姿の、たとえ実際は同い年だとしても、一見幼女にしか見えない女の子がそこにいたとすれば話は別だ。
 これは、まずい。
 めまぐるしく心中で考えをめぐらせ、枕は密かな慌てを極力表に出さないようにしつつ、律花の手をひっぱる。
「ちょ、放せこの変態。隠れろったって、お前──……」
「やっほー。兄貴、生きてるー?」
 殆どもう、間に合わないことを承知の上で。昨日の律花がそうであったように、隠れるような場所がこの部屋の中に存在しないことを理解したうえで、だ。人はそれを、無駄なあがきという。
 擬音で表すならきっと、どたん、ばたん。それはもう勢いよく、玄関の金属製の扉が引き開かれる。
 短い、本人の持つ生来の活発さを窺わせる、あっさりとした前髪。後ろ髪は長くも、シンプルなリボンで一本のポニーテールに結ばれている。やや崩した着こなしのTシャツにパーカー、そしてプリーツが両サイドに細く入った、チャコールグレーのミニスカート。ワンポイントのブラウンが躍る黒のニーハイソックスには両方、太腿の縁に小さな飾りリボンが揺れていた。
 あとは特筆するならば──……そんな活動的な服装の中になぜか混在している、蒼と碧の石で編まれた、左手の数珠。
「月イチ恒例の定期視察にきたぞー、いいかげんおとーさんに頭下げてウチに戻ってくる気にはなったー?」
 そんな外見の少女は、ずかずかと遠慮もなにもなく家の中へと入ってくる。完全に、勝手を知っている。
 それもそうだ、なにしろ彼女は──……、
「妹様、お土産持参でただいまご到ちゃ────……んんっ?」
 枕にとって、ただ一人。血を分けた、一歳年下の実の妹なのだから。
 名前を、和戸水月という。水に、月。みづき。発音的には、みずきで結構。
 ポニーテールを振って。右手に提げた白いビニール袋の、その中にある雑多なサイズの交じり合ったいくつかのタッパーを揺らして。やがて寝室兼リビングへと足を踏み入れた彼女は、兄である枕と、室内にいるもうふたつの存在を見とめ、立ち止まる。
 枕と、律花。あと、レイヤ。今度は律花のほうからレイヤの姿を経由して、兄のほうへと視線と首を動かしていき。一往復、しっかりとその運動は行われる。
「えーと?」
 指を折りながら、部屋にいる人数を数えていく。
 いち、にい、さん。
 もう一度。……いち。
 にい、さん。
 何度数えようとも、やっぱり三人は三人のままだ。それはどうしたって、変わるわけがないのだから。
 律花とレイヤは、無言で緊張気味にことの推移を見守っていた。そして。
「兄貴。この幼女とちっこいの、誰? あと、何?」
 ぽつりと呟くように、妹は兄へと訊ねる。
確かに。その疑問、質問は全くもって、尤もであること、この上のないものであった。
 
 
3/
 
 
「なるほどねぇ。道理で枕がリッカの扱い方に手馴れてると思ったわけだ。妹さんがいたっていうなら納得」
「でしょー。うちの兄貴ってば、昔っから無駄に世話焼きでさぁ」
 水月の肩に、レイヤは乗っていた。つい先ほど枕と分担しての説明をし終えたばかりの間柄だというのに、打ち解けるのが早い。
 一方的にではなく──双方向的に。長い付き合いの友人であるかのように、すっかり意気投合している。
 性格だけでなく口調や言い回しもどこか似ている二人だから、というわけでもないだろうが。既にサイズの大小に左右されることなく、馬鹿話に興じている。
 まるでレイヤが二人いるみたいだ、とは律花の弁。
「……血筋なのか?」
「は?」
「いや、順応性の高さ」
「さあ?」
 置いていかれたのは、枕と律花の、二人のほうだ。ぽつりと呟くように発声した律花は明らかに面食らって戸惑っているし、多少なりと双方の性格を認識している枕にしても、少々どころか大分に予想外であった。
 もともと、人見知りをしない妹ではあるけれども。仮にも相手は超ミニサイズ、おまけに宇宙人だというのに。気が付けば、すっかりフレンドリーに接している。
「……ん? 血筋ってことはそれ、俺も入ってる?」
「当たり前だろう」
 ふん、と鼻を鳴らして律花は腕組みをした。
「そういえば律花、お前、兄弟とかは?」
「わたしか? ……一応、双子でお姉さまが一人いた」
 そのままレイヤと水月のやりとりをみやる彼女に、ふと枕は質問を投げてみた。
 返ってきたのは、半分意外で。かつ残りの半分はどこかひっかかる、微妙というか曖昧というかな色が含まれた答え。
「なんだよ、一応って」
「いいだろ、とにかく一応は一応だ。……それに、顔も碌に憶えてないし」
「え?」
 その言い回しは、結局最後までなんだか中途半端。姉の顔を、覚えていない? 
だが抱いた疑問を声にして訊ねることもままならぬ間に、半端なまま、攻守は入れ替わる。
「そういうお前も変わってるよな。ほいほい訪ねてこれる距離に妹や家族が普通にいるのに、敢えて一人暮らしなんて。大体、学校は? 昨日平日だったよな? よくよく考えると」
「……色々。いっぱい、あってな」
 今度は、枕が言葉を濁す番だった。まるで絵本の物語の中、迷子の黒猫に名前を訊かれてはたと困った白いトラ猫が、ひとまず場を繋ぎ誤魔化すべく放った一言のようにどうとでもとれる言い方で。意趣返し──というわけでもないのだろう。はっきりしないこちらの言葉を、やり返すような形での追求を律花はしてこない。
 沈黙と、沈黙。短く彼女の言った「そうか」という一言ののちに、探り合いの会話は途切れる。室内には、ふたつのブロックが形成される。賑やかな二人組と、ややとっつきづらい雰囲気の流れる、無言の二人組、それぞれのペアが。
「ほんじゃま、いこっか」
 動きを見せたのは、もちろん賑やかな二人組のほうから。雰囲気が軽快というのは、それだけで気軽に行動や発言を、起こしやすい。
 くるりと二人揃って枕たちのほうを向き、レイヤが水月の肩から声をかけてくる。
 続けて、その水月も。
「パトロールってのに行くんでしょ? 兄貴が二日連続で誘拐犯を見るような、犯罪者に対する目を向けられるのもアレだし、リッちゃんはアタシの自転車の後ろにのっけてってあげる」
 ──リッちゃん?
 理解に少々、時間がかかった。そう呼ばれた律花も、もちろん、その隣の枕も。
 律花。──リッカ。────リッちゃん。そのあだ名の形成されたプロセスは実に短絡的というか、単純というか。
 捻れよ、もう少し。
「一応、わたしのほうが年上なんだが」
 立ち上がった水月に手を引かれ、この格好で行かせる気かと薄桃色のパジャマの襟元を押さえ、律花は彼女に若干の抵抗を見せる。
「いーじゃん、ちっちゃいんだし、かわいいんだし。リッちゃんで。アタシのことも呼び捨てでいいからさ」
「いや、だから出かけるなら着替えを……」
「あ、オッケー。手伝う手伝う」
「え、手伝うって……」
 こういうとき、さほど口数の多くない、すなわち口の軽くない人間はノリや勢いで突き進むタイプを相手にするのは不利である。
 抵抗も、するだけ無駄。
「わ、こら。何脱がして……」
「あー。兄貴、ちょっとあっち行ってて。リッちゃんのお着替えタイムはじめちゃうから。覗きはダメ絶対。つか昨日覗いたりしなかったでしょーね」
 妹は、枕にも律花の反論にも大して意に介することなく、小柄な少女のパジャマに手をかけて、そのボタンを外しはじめていた。既に薄い生地で編まれた下着のキャミソールと、白く肉付きの少ない細い素肌とが上から順に広がっていく襟元に見え隠れしている。
 枕は、妹の言葉に従った。能動的にではなく、流れのままに受動的に。
 壁にかけていた上着ジーンズとをとって、姦しくやっている大小三人の少女たちに背を向ける。
 後ろ手に三人と一人とを隔てる扉を閉じながらも、空いたほうの手は昨日置いた場所から、位牌の布包みをとることを忘れなかった。
 街を回るとして。効率的なルートを、おぼろげに頭に思い浮かべつつ、寝間着兼部屋着のスエットを、枕はジーンズに履き替えた。
 財布や鍵は、上着に入れたままだったから、これであとは女性陣の準備さえ整えば、いつでも家を出ることはできる。
「テレビ、消してから出るんだぞ」
 この賑やかさだと、あの三人は忘れそうだからそう言った。扉の向こうから、三人分の声が重なって返事をしてきた。
 三人を待つ間、枕は携帯電話を開いて弄っていた。
 液晶に表示される待ち受け画面は、空に広がる星の海。いくつかの光が、そこには黒のキャンバス上を瞬いている。また、その中心。レイヤのやってきたその海の中にあって、ほんのり色の違うふたつの星を赤のサインペンで囲んだ、そんな写真をわざわざ取り込んで設定したもの。
 星を囲んだ波打つ丸のすぐそばには、丸っこい文字が躍っている。
 ──『Pulcherrima』。最後の一文字の後ろには、ピリオドのかわりに小さなハートマークがあしらわれ、星の色と濃紺の空だけの写真の印象を華やかなものに彩っている。
 これを枕が、目にしない日はない。メニュー画面の画像にすぐに塗りつぶされてしまうまでの、ほんの一瞬。一秒に満たないひとときであったとしても、けっして。
 羽織った上着の中で、携帯電話を操作する右腕の微細な動きに合わせて、内ポケットの中身の感触が揺れていた。
 背後のドアからは、向こう側の三人が織り成す喧騒が、伝導してきている。
 牛飼い座と、おうし座。惜しいなと思ったそのふたつは名前だけはニアピンなようでいて、果てしなく物理的には離れている。
 それこそ、位牌の向こう側にある世界と、今現在枕たちの生きている、この世界との間の距離ほどに。
 

 
 自転車に乗るのは、やっぱり苦手だ。自分で扱ぐのも、誰かが扱ぐ後ろに座るというのも。昨日久々に荷台に乗せられて、嫌というほどによくわかった。
 元々の身長が低いせいだろうか。どうにも、自分の足が地面から離れているという感覚が好ましく感じられない。自分と地面との距離が遠くなるのが、怖い。
 車輪の横に、両足を揃えて。前で扱ぐ相手の腰にしっかりとしがみつく。風を切るスピードの中、半ば必死に。落ちたり、しないように。荷台から少し身体がずれる度に、どきりと心臓が早鐘を打って大きく脈動する。
 しがみついた背中のポニーテールから、シャンプーのいい匂いが漂い鼻腔をくすぐってくる。
「にしても、宇宙人のスーパーヒーロー……あ、ヒロインか。なんかすごいね、リッちゃんも、レイヤも」
「へっ?」
 そんな中だったから、不意に話しかけられて間の抜けた声を返してしまった。
「な、なに?」
「いや。変身するんでしょ? リッちゃんとレイヤの、二人で」
 彼女の扱ぐペースと、車輪の回る音とは非常にスムーズで淀みがない。
 一体、どうやればこんな風に乗れるのだろうかと、まるきり自転車の不得手な人間としては心底思う。
 しがみついて聞き返すしかできない自分が、なんとまあ情けなく感じることか。
「……どう、かな。あいつ、どーも真剣味が薄いっていうか」
「そうなの?」
「ああ、そう──……ひゃっ」
 揺れひとつでも心臓が跳ね上がる。自分の発した間抜けこの上ない声に、頬が火照ってきてしょうがない。
 昨日より、運転する相手が違うせいか、いくぶんましではあるけれど。それだけに昨日はこんな声をずっとあげ続け、枕とレイヤに聞かせ続けていたのかと、多少冷静な頭が認識できてしまって余計に恥ずかしい。
「ほんとに駄目なんだねぇ、リッちゃん」
「え……?」
「自転車。ひょっとして乗り物全般、駄目だったりする?」
 兄貴よりは、アタシのほうが安全運転だと思うけど。くすりと笑って水月が言った声に、反応する。顔を上げる。
 見返してきていた操縦者の彼女は、自転車の運転の真っ最中でも余裕たっぷりに、横目と少し後ろに回した首とで、こちらに視線を注いでいる。その状態で自在に二人乗りの自転車を操っていく。
 結局、本当に水月は律花を荷台に乗せて、自転車を走らせている。
「……乗り物酔いは、するほうかな。車とか、列車とか。まず車内では本、読めないし」
「だろーね。小さい頃、アタシもそうだった。……カナヅチ?」
 カーブ。四つ角を、右に曲がる。前方を行く、彼女の兄の自転車のあとを追って。
「……まあ」
「あははっ。なら、アタシや兄貴と一緒だ。うちの家族、みんな泳げないんだよね」
「そうか」
「でも、ちょっと驚いた。あの長いものには巻かれるけど変わったことには手を出さない、冒険しない兄貴が、二人をふつーに泊めてるんだもん」
 なんとなく、水月の相手は調子が狂う。対等の扱いに、こちらが慣れていないだけなのかもしれない……のだけれど。
「なんか、似てるなぁ。よく知ってる人に、リッちゃん。全然ちっちゃいのに、なんか不思議」
 身長的、体格的に恵まれてないがゆえに、同い年でも多少の年下であっても、大抵は律花と相対した相手は子ども扱いをしてくるのが常であったから。ちょうど、昨日の初対面の際に、枕がそうであったように、だ。
「あっ」
「リッちゃん?」
 がたん、がたんと。工事中でアスファルトが取り払われた、砂利道が荷台に乗った小柄な身体を小刻みに、断続的に揺らす。
 そしてその揺れが、律花の頭にとあることを思い出させる。
 この道を行った先にあるもの。見たくないもの。行きたくないところ。思い出したくない出来事。
「えと、あの」
「? ……あー。呼び捨てでいいよって言ったじゃん」
「……水月
「はーい。なんでしょー、お嬢様」
「っ」
 少し、胸がぞわりと波を打った。たぶん言った水月本人としてはなんでもないはずの、その一言に。だが、今気にするのはそこじゃない。
「この先。左折はしないでもらえないか。あいつにも、そう言ってもらえると助かる」
「ほえ? なんで?」
「なんでって……それは」
 それは、なくした場所だから。──なんて、言えなくて。
「この先を左……って、ああ。あの交差点か。なら大丈夫だよ、多分」
「え?」
 だけれど、前に乗る相手はごく当たり前のことのようにそう言って、自転車を扱ぎ続ける。
「うちの兄貴もあそこ、寄り付かないから。昨日も来なかったでしょ? きっと……ううん、絶対」
 ほんの僅か、その声には先ほどまではなかった憂いの成分が含まれているように思えた。
 苦い過去とか、嫌な思い出とか。それは多分、そういった類のものから立脚し生まれる負の感情で。
 律花自身、過去に自分もしたことがあるような、ものすごく身に覚えがある性質の音色と、横顔から覗く表情だった。
「事故、多いからねあそこ。気をつけたほうがいいよ」
 能天気だけで成り立っている人間なんて、きっといない。ただそれまでからの落差があったから。おかげで一層、彼女の声に急激に『影』が含まれたように感じられる。
「……水月?」
「うん、気をつけたほうがいい」
 行かないでくれ、と云ったのは律花のほうであるはずなのに。
 なぜだかその言葉は水月と、不可視フィールドとやらに身を包んだレイヤを頭に乗せ先を行く枕の兄妹二人から、律花とレイヤに向けて放たれた、ルート選択に関しての──『近付かない』ということに対する、確認であり言い訳であるように聞こえた。
 彼女の言葉のとおり、枕の背中は、自転車は左ではなく右へと曲がった。水月と律花を乗せた一台も、それに続く。
左に行けば大通りであったそこは方向が真逆であるのと比例するように、正反対に人気のない住宅街の道が続いていた。
「近付かないってのも、手だと思う」
 ぽつりと一軒、その中に小さな個人経営と思しき電気店が混じっている。
 その表に並ぶテレビの大型画面に映るニュースが伝えるのは、記者会見の様子。
 フラッシュ瞬く中に立つ──父の姿。
「寮が燃えちゃった高校ってさ。あそこでしょ、南町の」
「え、うん」
「そっか。リッちゃん『も』、あそこなんだ」
「……『も』?」
 それすらも、あっという間に景色のひとつとして流れていく。
 前に座る、手首に数珠を巻いた彼女の、ちょっとした言い回しに感じた違和感が、会話の中に気がつけば、通り過ぎていくのと同じように。
 

 
「あれ、今日もこっち行かないんだ」
 正直に言えば、頭上のレイヤの発したその一言に枕が感じたのは『気付かれたか』という、半ば忸怩たるものにも似た感情だった。
「さっきの十字路の先、交差点よね? 人通りも多いだろうし、行ったほうがいいんじゃないの?」
「……他人事みたいに言うね」
 パトロールしなきゃ、なんて最初に昨日言い出して始めたのは他でもない、レイヤだろうに。
 胡坐から、ごろ寝。昨日のそれなりに町並みを興味深そうに見て回っていた姿とは打って変わって、枕の頭の上で四肢を伸ばすその体勢・態度は明らかにだらけていて、また明らかにリラックスしっぱなしに脱力している。
「お前、本当に地球守りにきたわけ?」
 その点については、聞かされた動機からして不純なわけだから、大いに不安が残る点ではあるのだが。
 枕の言葉に対し、レイヤは鼻白んだように口を尖らせ、反論する。
「あ、当たり前でしょ。このスーパーヒロイン、レイヤさまに対してそんな、馬鹿みたいなこと言うんじゃないの」
「スーパーヒロイン、ねぇ」
「そりゃあ、何もないに越したことはないじゃない。そりゃ出番がないのは残念だけど、侵略者が現れて喜ぶヒロインもいないでしょ」
 確かに、その通りではあるけれど。
 起き上がって左右のパンチを繰り出すシャドーボクシングでアピールしているところ、申し訳ないが、出番のあるなしではなく、そもそも、今は。
「何か起こったところで、お前対処できるの? エネルギー、ないんだろ」
 ついでを言うと、律花との相性も、けっして良いものではない。全ては彼女自身が初対面時に枕へと伝えたこと。
 このままでは変身も巨大化もできないし、身体能力もむしろ制限されると。
 昔テレビで再放送をやっていた赤い巨大ヒーローは、変身できないときカプセルに入れた仲間の怪獣を、代わりに戦わせていたが。
 そういうものがあるとも、彼女からは聞いていない。向かった先で何かがあったとして、どう対応する気だ。
「……あ、そっか」
「おい」
 自分で言ったことを。自分の体のことを忘れるな。
合点がいった、という風に両手をぽんと打ち鳴らすレイヤに、枕は思わず呆れざるを得なかった。
「お前ね」
「あーはいはい、わかった、わかりました。ならあっちの交差点、確認しに行かないと」
 小さなその踵でぽこぽこと枕の頭を叩きながら、レイヤは喚く。
 だが、その提案は枕にとって、聞くことの出来ない相談であり。
「悪い、それはパス。行くなら一人で行ってくれ。それか、律花と」
「なんで?」
「嫌な思い出が、あるんだよ」
 あまりくどくどと、説明をしたくない理由がそこにはあった。
「理由、訊いてもいい? 訊かないほうがいい?」
「……できれば」
 そう、わかった。頭上から肩の上へと降りてきた、枕たち以外には見えない小さな少女は、己の吐いた言葉に従うように、それ以上訊こうとはしなかった。
「地球人も、隠し事って多いのね。枕が特別多いだけなのかもしれないけど」
 その代わり、枕の首をぽんぽんと軽く叩いて、腰掛けた肩の上で足を揺らしていた。
 彼女は、サイズが小さいから。それは多分、人間同士が肩を叩いて、相手のことを気遣う行為の代用。
 きっと、同じような意図の込められたものなのだろう。
 
 
<4/以降へ続く>
 
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