それと、勤務日誌について。

 
 『真夏の夜の夢』さんより夏コミにて発行されます、機動六課勤務日誌3に寄稿させていただいているのでひとつ、宣伝のようなものを。
 
今回、自分はシグナムがメインの話を一本書かせていただきました。
おもいっくそたぶん浮いてる作風の話です(ぉ
 
そんなかんじなのでよろしくー。
 
 
んで。
本日は以前に(前回の冬コミにて)ケインさんのところに「てきとーにおいといてー」的に押し付けたコピー本用に書いた作品を載せてみようかなぁ、と。
どうせたいした部数出なかったしたいした部数も刷ってなかったんで、問題ないでしょうし。
そんなわけで、続きを読むからどうぞー。
 
……たぶんここにはのっけてないよね?(既にのせてたらどうしよう(汗))
 
↓↓↓↓
 
 
 
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『穏やかな、風が吹いて』 
 
 仕事中のモニターの脇から、通信メッセージの到来を告げる着信音が鳴ったのは、忙しさゆえに執務机で摂ったばかりの夕食の食器を下げて、シャーリーが部屋を辞していったその直後だった。
 発信元は、第六十一管理外世界。……エリオと、キャロだ。
 フェイトは、一旦タイピングの手を止めてその文書ファイルを開く。忙しいとはいっても、少し手紙に目を通すくらいはできる。食後のちょっとした休憩と思えばいい。
 我が子同然に思う二人からのメッセージは、些細ながらも微笑ましい、そういった出来事がひとつひとつ、おそらくはキャロの手によるものとおぼしき、穏やかで丁寧な語り口に綴られていた。
 六課解散後、二人が同じ世界で同じ仕事につくようになってからほぼ一年と八ヶ月。
こんなこと。あんなこと。まだまだ成長期の、ティーンエイジャー目前である二人からこうやって活力に満ちた報せが二、三ヶ月に一回程度、時折に届くのは、けっして珍しいことではない。
「……」
 仲良くなった動物たちとのポートレートが、時折挟まれる。
 所属する保護隊での上司の女性……ミラさんだったか、彼女から教わって挑戦してみたという、なかなかきれいによくできた、釜焼きのお菓子を収めた一枚も、然り。
「……ふふっ」
 読み進めていく中に、微笑が漏れ、口元がついついほころんでしまう。
 そしてそのうちに、ふと文中へと表れた名前に、目が留まる。
「あ……」
 とある資料について、遠い世界の友人と意見を交わした、その際の出来事。記述は、そういうものだった。
「……ルーテシア」
 その名を、けっしてフェイトは充分に、晴れやかな気持ちで読み上げることは出来ない。
 何度か送られてきた写真に切り取られた、母親と並ぶ彼女の表情が、幼き彼女の心よりの笑顔に満ちたものであったとしても。
 母のため。そうやって生きてきた彼女を、自分が幼き日、義兄たちからそうしてもらったのとは同じように、罪人の烙印という軛から完全には解き放つことはできなかったのだから。

 ──お前のときとは違う。充分によくやったし、彼女だってそれで満足している。母親と一緒に暮らしたい……その彼女の願いを叶えてやれたんだ、そう自分を責めるな。

 あの頃は二人称が『きみ』だった、今の自分と同じく執務官という職務についていた兄は、そう言って肩を叩いてくれたけれど。
 もし自分でなければ、もっとうまくやれたのではないか、と思う気持ちはけっして打ち消せるものではなかった。
 自分のときは嘱託魔導師という交換条件にも似たものがあった、彼女にはそれがない。彼女には少なくとも、その意志はない。罪の大きさも、事件の規模も違う。それは理解している。しかし。
 そうであっても兄や、母や。嫂たちが自分にそうしてくれたように、彼女の咎をもっと易しいものにしてやることは、できたのではないだろうか。幼い少女へと、百パーセントではないにしろ、もういくらかの自由は与えてやれたのではないか。
 エリオと、キャロと。当時所属していた機動六課の部隊長だったはやての厚意で特別に半日分の休暇をもらい、三人で彼女の出発を見送りに行った際、ありがとうと頭を下げられたからこそ、なおのこと思う。

“──最近は、ヴィヴィオともよく連絡をとってるみたいで。ルーちゃん、とっても元気そうです。”

 ルーテシアに関する記述は、そんなところで終わっていた。そしてそこから先は手紙につきものの、定型句的な結びの言葉にもなっている。
 日付と、署名と。敬具の意味をを言い表す挙句が写真とともに文章を締め括る。
 もう、すっかり冬であるのは気候の差はあれど、こちらもあちらも同じ。そこに写る子供たち二人は厚着を着こんで銀世界の中に佇んでいる。
「冬、か」
 冬。
 ヴィヴィオ
 子供たち。
 ふと、少し沈みかかった気持ちの中に、それら三つの単語がひっかかった。そういえば──……。
「あ」
 とっさに、頭の中でミッドの暦と地球の十二ヶ月の対応表を組み上げて、照らし合わせてみる。
 思った、とおり。二週間後には、もう。
「いけない」
 なのはにも、ちゃんと考えておくように云われたんだっけ。それで一応、目星もつけてチラシも何枚か捨てずに確保しておいたはず。
「えっと、たしかここに……」
 そう、クリスマス・イブ。わが子──ヴィヴィオへの、クリスマスプレゼント。
 忘れているなんて、どこぞの仕事仕事の駄目亭主(注・兄)じゃあるまいし。慌てて、仕事机の抽斗を開く。
「──あ……」
 そこには、姉が笑っていた。
 仕事の忙しいときにはうっかりで落としてしまわないようしまい込むことにしている、その写真の中で。
 ──十一年前のクリスマスに別れた、姉が。
 

 
 多分、このくらい強硬に休暇願いを出したのははじめてのことだったと思う。
「こっちだよ、ヴィヴィオ
 ただ、義兄が久々の兄馬鹿ぶりを発揮するとまでは思ってもみなかったけれど。
 さすがに、車で来るには遠すぎた。だから伝を使ってもともとなんらかの交通手段を──どこかのポートか、あるいは列車を乗り継いで──講じて、最悪の場合は一人ででも来るつもりだったのだ。だが。
 せっかくだから乗せてってやる、とは。
 若干、艦長としての職権濫用であるように思えなくもない。その提案に乗る自分も自分ではあるけれど。転送ポートだけ、ありがたく使わせてもらった。おかげでヴィヴィオと二人で、ここに来ることができた。なのはには許可はとっていたけれど、さすがに幼い彼女を長旅に付き合わせるのはしのびない。
「変わってないな、ここはほんとうに」
「ふえ?」
 クラナガンより、ずっと南。郊外も郊外、辺境と言っていいくらいに、遠く距離を置いて。
 そこがフェイトの生まれ育った場所。アルトセイム──その森中の、時の庭園がかつて停泊していた地点。
 見上げた空は、真っ青に晴れ渡っている。
「ここがフェイトママの、生まれたところなの?」
 幸い、ポートを開いた先の観測所で、車を借りられた。
 天候や自然形態を調査しているというそこからは、四輪駆動のそれで約二十分ほど。
「そうだよ」
 車から降りれば、すぐにその場所はわかった。
忘れるはずもない。忘れる、わけもない。
 山の中。森の中の、大きく開けた場所。記憶を頼りにすればそんなに数も多くないそこを見つけるのに、手間取ることはなかった。
「ここで、フェイトママはね。プレシア母さんや、アルフや。みんなと一緒に暮らしてたんだよ。大きな……とっても大きな家で、引っ越してきて、ね」
 魔法の師である、リニスや。
 あの十一年前のクリスマス、ほんのひとときをアリシアとともに過ごした、穏やかで優しい風の感じられる場所。
 掘り起こすまでもなく、思い浮かべるだけでその情景は木々に囲まれ広がる草原の中に蘇る。
 実際にアリシアと育んだその短い時は、けっしてこの場所で行われたものではない。あくまでもあれは闇の書の中で見た、やさしい夢。
 だが、あの夢のおかげで自分は決着をつけることが出来た。この場所にたとえ現実ではなくとも運ばれたことで、大切な人たちの下から、別の大切な人たちへと足を踏み出すことが出来た。
「ほんとうに……久しぶり。十一年ぶりだ」
 だから、というわけではない。けっして自分から避けていたというわけでもない。ただ、積極的に寄り戻ろうとしなかったその場を今、フェイトはわが子と認識する子を連れて、訪れている。
「おいで、ヴィヴィオ
 とてとてと、小走りに歩み寄ってくるヴィヴィオの手を引く。もう一方には、花屋で選んできた花束がある。
「はあい」
 きょろきょろと、自然に満ち溢れた周囲を、ヴィヴィオは興味津々に見回していた。彼女を連れて向かうのは、一本だけぽつんと天に向かって伸びた、その森の主ともいうべき巨木の根元。
 ──そう。あの日、雨の中アリシアと別れた。あの木だ。
「……親不孝な上に、姉不孝な娘だよね」
 ずっと、写真の中の姉や母に向かって笑ったり、語りかけたりをするばかりで。ずっと、この場所を空けておいて。
 言いながら漏れたのは、多分自分自身への失笑だった。
 木の根元へと膝を曲げて、花束を置く。
 これだけの期間留守にしておいて、ようやく娘の顔を見せにくるんだもの。まったくもって、ではないか。
「……あっ」
 祈るでもなく。静かにフェイトは、じっと花を置いたその地面を見つめていた。
 やがて、ヴィヴィオのあげた声に顔をあげて振り返る。
「あ……」
 そこには、一匹の山猫がいた。小さな──けれど、もう殆ど大人になりかかっている、そのくらいの個体が。
 リニスと、同じだ。見た瞬間、反射的にそう思えた。
「わー、猫さんだー」
 ヴィヴィオが、華やいだ声をあげる。途端、びくりとその山猫は四足の、人間で言えばその肩を竦めて。一歩、二歩。じわり、じわりと後ずさる。
ヴィヴィオ
 ──警戒している。たとえ見かけは小さくとも、仮にも相手は野生の動物だ。
 あんまり近付くと危ないよ、と。言おうとした。子供ゆえの無警戒、好奇心ゆえにとことこと近付いていく、ヴィヴィオへ。
「あっ」
 瞬間、山猫の身体が跳んだ。
 ヴィヴィオに向かってではない。逃げ出すように、それこそ動物違いではあっても、脱兎のごとく。
「待ってー、猫さん」
「あ、ヴィヴィオ!? あんまり一人で遠くに行くと──……」
 愛娘は、それを追って駆け出す。フェイトの制止もそこそこに、逃げる猫の後について。
 この辺りには、それこそあの山猫以上の──例えばアルフと同種族の狼といった──危険な野生動物も、少数ではあるが、森が深くなるにつれて確かに存在している。
 その気になればあのナンバーズの砲撃にも耐えられる聖王の器としての身体といっても、迷いこんでしまったらけっして安全とは言い切れない。第一、はぐれたら合流できないことだって考えられるのだ。
 自分も、追いかけよう。もう木々の間に見えなくなったヴィヴィオの姿に、腰を浮かそうと膝に力を込める。
 バルディッシュにも、一応ヴィヴィオの現在位置を調べさせるとして。
「──大丈夫」
 瞬間、しゃがんだ肩を叩かれた。
 覚えのある声が、耳に木霊した。
「元気な子だね。ヴィヴィオ、だっけ」
 ともに、後ろから。座ったままの、背中の向こうから、その音と行動は投げかけられた。
 恐る恐る。ゆっくりと、振り返る。
 そんなはずは、ない。
 あるわけがない。ありえない。
 想いは、否定の感情で一杯に埋め尽くされる。
「んーと、お土産は花束? お菓子がよかったなー、わたし」
 だが、その感情は更に『否定』される。そういう映像が、左右の瞳には映し出される。
 自分の両目を、疑いたくもなる。
 だって。
「おかえり、フェイト」
 いるはずのない、姉が。あの夜、別れたままの変わらぬ姿の、アリシアが。
「大きくなったね、すっごく」
 そこで、邪気など一切感じさせない表情で、笑っているのだから。
 

 
「アリ……シア?」
 多分。自分は今、何故、だとか。どうして、だとか。そんな間の抜けた顔をしているに、決まっている。
「うん?」
 一方、屈んだこちらと向き合ってなお、少し見下ろす程度の身長しかない彼女は、フェイトの呆けた声に、可愛らしく小首を傾げてみせる。
 もう一度。フェイトは確認するように、彼女の名を呼んでみる。
 返事は──ある。
アリシア……なの?」
「そうだよー。なに、私の顔忘れちゃった?」
 いくら何年も会ってないからって。お姉ちゃんの顔忘れちゃうなんてひどいなぁ。
 全然憤慨を感じさせない口調、仕草で。彼女はフェイトに向かい口を尖らせてみせた。その様子に、実感する。いや……させられる。
 ──間違いない。あの、夢の中で出会ったまま。あのときの、アリシアだ。
 認めざるを、得なかった。またそして、同時に。
「あー。考えてるでしょ、一体これってどういうことだー、みたいに」
「え、あ、いや。そ、それは」
「いいんだよ、そんな深く考えなくたって」
 図星を姉からつかれたように、考えていた。
 彼女の現れた理由──例えばロストロギアや、ヴィヴィオを狙う非合法の魔導師による組織の襲撃や。その、思いつく限りの可能性について、だ。
「言ったでしょ、ヴィヴィオはだいじょーぶ。それに」
 だが、姉はすました顔で、肩に置いた手で今度はフェイトの手を引いて。
 置かれていた、花を抱え。そうして自らがちょこんと腰を下ろした、木の根元の芝生へとフェイトを座らせる。
 座っても、その手は放さない。二人の間に、繋がれたまま。
「私は、私。アリシアなんだから」
 ──何年も昔の姿と、まったく変わっていなくたって。……ううん、だからこそ。
「今ここにいる私が、フェイトのお姉ちゃんだってことも、変わってないし、変わらない」
 たとえ、幻影だろうと。なんであろうと。
 そう言ってアリシアの紡いだ言葉は確かに、フェイトの両耳の内側へと染み込んでいった。
「ね」
「……うん」
 それを吐いているのが、アリシアであるということ。微笑んで、頷いているのが姉であるということ。
 自分に、問いかけた。自分の中に、問うてみた。
 見ているもの。聞いているもの、それらが是であるか、否であるのか。
「それじゃあ、改めて。おかえり、フェイト」
 無論。
 ──無論、答えはイエスだった。いつの間にか、感じていた不安も疑念も、消えていた。
 思考でも、出来事でもない。フェイトの存在、それそのものがそこにいるアリシアの存在を、肯定する。そういう、自分がいる。
「……ただ、いま──」
 そんな自己を、フェイトは理屈でなく、間違っていないと思えた。それで、よかった。
「──ただいま、アリシア
 ぎゅっ、と。握り返された、繋いだ掌に。
 小さくもあたたかな彼女のぬくもりが、広がっていった。
 

 
 とりあえず。前しか、見ていなかった。──走り遠ざかっていく、小さな猫の背中、それだけしか。
「ふえっ」
 その姿が、消えた。
 見失ったのかな、と思い立ち止まり、きょろきょろと周囲に視線をまわしてみる。
「猫さん?」
 やっぱり、いない。
「ふえ?」
 そして、ヴィヴィオはふとしたことに思い至る。もう一度そのために、辺りをぐるりと、見回してみる。
 ──ここは、どこだろう。
「フェイトママ?」
 どこをどう来たのか、よく覚えていない。ただずっと、猫の背中を見て追いかけてきたから。
 発した声に応じる母の姿も、ない。返答の声は、上下左右四方八方、まったくいずれの方向からも聞こえてこない。
 きょろきょろと。そう、ただきょろきょろと、ヴィヴィオは行く当てのない視線をあちこちに振り向けるばかり。
「まったく。困った子ですね、あのフェイトの娘だというのに、あなたは」
 BGMは僅かに吹く、風の音。時折どこからか聞こえてくる、小鳥たちの囀り。
 母のものではなく。そこに混じり、誰かの声がヴィヴィオの鼓膜をやわらかにノックする。
──周りをきちんと見るように、あの子には教えたつもりなのですけれど。そんな、叱るような。それでいて抑えきれないぬくもりの感情を秘めたような言葉。
 かさり、と。踏みしめられた落ち葉と、大地の草が音を立てた。
 二度、わずかな時のうちに。最初は、その女性の足元から。次には、そちらを振り見た、ヴィヴィオの足の下から。
「でも、そうですね。元気なのが一番なのかもしれません」
 女性は、落ち着いた意匠の帽子と服を、その身に纏っていて。
 その雰囲気は、人見知りの気のあるヴィヴィオをして、初対面の不安をまるで感じさせず一足ごとの距離をつめる行為を、彼女に許すほど穏やかなもの。
 気がつけばすぐ目の前に、女性はいた。はぐれた母ほどではないにしろすらりとした、パンツルックに身を包んだその体躯が、ヴィヴィオを間近から見下ろしていた。
「はじめまして、ヴィヴィオ
 見上げた瞳と、見下ろす瞳。両者の間はヴィヴィオの頭を撫でゆく女性が屈めた身によって、なお接近する。
 穏やかなその表情が、そこに浮かんだ微笑とともに一層その色を柔らかみに満ちたものへと変わっていく。
 ヴィヴィオは、自分を撫でるその女性をしばし、ぽかんと見つめていた。撫でられていて、二人のママと同じくらい心地よくて、ただそれに身を任せ他の事を忘れていた。
 ──こんにちは。高町ヴィヴィオです。
 やがて返された挨拶は、満面の笑顔に溢れていた。挨拶は、きちんと。その母から──サイドポニーの、ちょっぴり怒ると怖いママだ──躾けられ、教わったことを、ヴィヴィオは忘れることなくきちんと守ったのだった。
 ──いい子です。きちんと挨拶、できましたね。
 アッシュブロンドの髪を、揺らして。満足そうにその女性は、頷いた。
 ちょうどそれは、フェイトとアリシアが二人並び、同じ木の下に腰掛けた、その頃。
 

 
「さて。フェイトは一体どういう話がしたくって、お姉ちゃんのところにきたのかなー?」
「え」
「あるんでしょ。不安なこととか。落ち込んじゃうこととか」
 アリシアは、そう切り出した。
 どうして、それを──という感覚に、思わず三角座りの彼女を見返す。
「む。私のこと、馬鹿にしてる? お姉ちゃんを甘く見ないのー」
「……べ、別にそういうわけじゃっ」
 というか、そういう問題じゃないだろう。
 一体どうして、言い当てられたのかは姉か否かに関わってくるものでも、ないと思う。
「なんて、ね。顔に書いてあるもん。なんだかちょっと元気ないですよ、って」
「あ……」
 隠し事、下手なんだね。微笑みとともに言われて、なんとなく気恥ずかしくてフェイトは俯き目を伏せる。
「まあ、それが目的だったのかどうかはわかんないけど。私でよかったら、話くらい聞くよ?」
アリシア……」
「こんなちっちゃいお姉ちゃんじゃ、頼りにならないかもしれないけど、ね」
 フェイトの、右手と。アリシアの左手は、その間もずっと繋がれたままだった。
 まるでそこから、彼女の感情が伝わってくるようで。逆にフェイトの気持ちがあちらに流れ込んでいるのかもしれないとすら、その手の暖かさは錯覚させる。
 目を、上げる。姉の視線と交差した。意を決するまでもなく、自然に口は開き、動いてくれた。
「……お母さんのために、頑張ってる子がいたんだ」
 その子は、私の大切な子たちにとってすごく大事な女の子で。
 エリオにも、キャロにも。気がつかないうちに、ヴィヴィオにだって、とても。
「私は、自分がしてもらえたことをその子には、十分にはしてあげられなくて」
 クロノや、リンディ母さんがやってくれたみたいには、うまくできなかった。
「……だから、まだまだだな、って」
 当のクロノたちから慰められたり、判決を受けた本人であるルーテシアやその母から礼に頭を下げられたとしても。
 やっぱり、力不足は痛感せずにはいられない。
 十年以上管理局でやってきて、執務官になってからもかなりの年数を過ごしているというのに。
 あの頃の兄たちにすら、自分はまだ全然届かない。フェイトは、そう思う。
「そっか。だから落ち込んじゃったんだ」
「少し……、ね」
「お兄ちゃん──クロノと自分を、比べちゃったか」
 こくん。頷き、そのまま俯くフェイトと対照的に、アリシアは軽く天を仰ぐ。
「ね、フェイト」
 そして、手が伸びた。俯いたフェイトの後頭部へと、それはちゃんと届いた。
 いつの間にか、彼女の三角座りは崩れている。地面に倒されて、リラックスした風に曲線を描く。
「え……」
 そこに、フェイトの頭は引き寄せられていく。さながら五芒の星のような、小さな掌に押されて。
「こんなにも、空は真っ青できれいなんだよ」
 気がつけば、その膝の上に頭を預けて。本来ならずっと背の低い彼女を、フェイトは下から見上げていた。
 その、姉の言葉に導かれるように。やがて彼女の仰ぐ空へと瞳の行き先を移す。
「アリ、シア……?」
 細く白い指先が、額を。黄金色の髪を撫でていく。撫でながら、小柄な姿の姉はフェイトへと語りかける。
「『こんなはずじゃないことばっかり』。これも、そのお兄ちゃんの言葉だよね、フェイト」
 小鳥が二羽、飛んでいく。
 それらはつがいか、親子か、兄弟か。あるいは──二羽で揃いの、姉妹だろうか。
「でも、そういう雨の降り続く日があるから、こういう晴れの日もあるんじゃないかな」
 姉妹二人、その鳥たちの飛び去っていく様を見送り、見守る。
「晴れの日に、雨の日のままの顔をしてたらきっと、もったいないよ」
 どんなに曲がりくねっていて、ぬかるんだ道でも。
 晴れ間はきっと出てくる。晴れればきっと、そこも乾き始めるから。
「大丈夫だよ。わたしはフェイトで、フェイトはわたしなんだから。そのわたしが、保証する」
 大丈夫。そう、アリシアは笑った。
「不安になるなら、信じてみてよ。わたしを、フェイト自身を」
 
 ──ああ、そうだ。
 
 フェイトは、思った。
 あの日の別れがあったから、今の私は戦えているんだ。
 雨の中交わした抱擁、あの夢。あそこから『フェイト・T・ハラオウン』は歩き始めた。けっして捨てることなく、その場に残しておくべき大切なものとして、『フェイト・テスタロッサ』を置いて。
 可能性を、はじめるため。自分の行けるところを、遥か遠くまで目指しながら。
 執務官という今の仕事も、そうやって辿り着いた場所のひとつ。
 不安に思ったり、沈んだりすることはない。ただ、そこで待っている自分や、彼女や。たくさんの大切なものたちに恥じないようにすればいい。
「……なんでこんな大事なこと、忘れちゃってたんだろう」
 アリシアの膝の上で、フェイトは金髪をかきあげる。
 見下ろす姉は、今度は可笑しそうに──やっぱり、笑っていた。
「あ……れ……?」
 なんだか、ほっとした。瞬間、急に瞼が重くなった。
 眠気が突然に、襲ってきた。
「アリ……シ、ア……?」
 霞みゆく、薄まっていく視界の中にあっても、睡魔の答えを求めようと見上げた姉は、ただフェイトの手を握り、髪をやさしく梳くように撫でるばかり。
 そろそろ、時間みたい。アリシアの唇が、そう動いた。
「ねえ、フェイト。ひとつ我侭、言ってもいいかな。お姉ちゃんからの、お願い──……」
 もう、あまりよく聞こえなかった。ぼんやりと、ほぼ無意識にフェイトは頷いた。
「ほしいものが、あるんだ。フェイトから。わたし、ずっと一緒にいたいって気持ちは、今も変わってないから」
 そしてふと、視線を脇に向けた。
 眠りに落ちる直前、そうすることでフェイトの目に映ったのは──映ったように、思えたのは。
 
 ──ありがとう。また、ね。
 
 短く切りそろえたアッシュブロンドの、髪の毛。白い上着に、白い帽子。
そんな出で立ちをした、使い魔。フェイトにとってよく知った女性に手を引かれこちらへと歩いてくる、二色の瞳持つわが子の姿だった。
リニス、と。呟きかけた唇が、ほんの僅か、動いた。
睡魔が意識に勝利したその瞬間も、アリシアの手はきっと、フェイトの手を握っていた。あの夜と同じように──ぎゅっと、抱きしめてくれた。その匂いと感触とを、フェイトは感じ取った。
ひとつに結ったはずの髪の毛が、軽くなったように思えたのが、最後だった。
 
* 
 
「あっ」
ママが、眠っている。戻ってきたその場所でヴィヴィオが最初に見つけたのは、木の根元によりかかり穏やかに眠る母の姿。
行かなくちゃ、という使命感があった──というよりは半ば無意識的に、踏み出しかけた足は、掌に感じた違和感に押し止められる。
「ふえ?」
 何かを、触ったのではない。触っていたなにかが、突然……その感触を失ったのだ。
 振り返る。きょろきょろと、周囲を見回して首を傾げる。
「おねー、さん……?」
 先ほどまで引かれていた掌は、何度握ってみても空気を掴むばかりだった。そこにあったはずの女性の姿もまた、どこにもない。
 よく理解できずに、ヴィヴィオは首を捻った。そして改めて、木陰に眠る母の姿を見た。
 その長いきれいな、絹糸のような金髪はさわさわと風にたなびいていて。森の中にヴィヴィオが迷い込む前そこにあった、穂先を結ぶ黒いリボンは影も形もなくなり風の流れに毛先が揺れるのを任せている。
 代わりに。母の緩く握ったその手には、初めて見る碧のリボンが髪の毛と同じように揺れている。
「フェイトママー」
 
 バルディッシュの記録にも、そこであったことは何も残っておらず。
 彼女のまどろんでいた巨木が、樹齢にして悠久ともいうべき時を生きてきた霊樹と呼ぶにふさわしい存在であったというのは、戻って無限書庫を訪ねた母が、親愛なる司書長との間に交わしていた会話のうちに判明したことではあったけれど。
 とりあえずヴィヴィオには、二人の話はよくわからなかった。
 そのリボンを誰からもらったのかも、後見人を本来の肩書きとする義母は、けっして教えてはくれなかった。
 内緒だよ、と柔らかに、微笑むばかりで。
 
(了)

 
モチーフ/執筆時BGM:『catch up dream』song by ASAKO
 

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この曲です
D