三話におさまんなかったさあ

 
まあいつものことです。
てなわけでnocturne外伝更新ー。
前回のはこちら
 
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 うっかり、失念していた。ちょっと考えればすぐにわかることだったのだ。
 こちら側に自分とヴィヴィオしかいなくて、広い露天風呂も殆ど貸し切り同然の状態で。他の客の姿のない、ここが知る人ぞ知る名湯というやつであるならば。
 
「湯船のなかで泳いじゃだめだよー、ヴィヴィオ
 
 竹柵の向こう側から聞こえてくる声の主は、同じように彼しかいないわけである。
「ゆ、ユーノくんっ!?」
 ばしゃばしゃと、他に客がいないのをいいことにバタ足で水をかいて楽しそうに戯れるヴィヴィオと、その姿を燻らせる湯気。
 ぼんやりと思いを巡らせながらそれらを眺めていた怠惰さなど、どこへやら。その声に、なのはの心臓は鼓動を入浴ゆえの血行増進以上のものとして、跳ね上がる。身体もそれに伴って、周囲のお湯を飛び散らせながらびくりと両肩を瞬間、水面から弾き出した。
「ど、どこっ!?」
「裏だよ、裏。男湯と女湯、隣り合わせだったんだね」
 まあ、そのほうが効率的だし。当然といえば当然か。──なんて。彼はなのはの動揺も、道中の気まずさもおかまいなしにそんな暢気なことを柵の向こう側でぶつぶつやっている。
 
「あ、言われる前に言っておくけど、覗いたりはしてないよ」
 
 いや、そうでもなくて。
 
「あれー? ユーノくん、そっちにいるのー?」
 なのはが二の句を継げずにいる間に、彼はヴィヴィオとなんともなごやか極まりない、柵越しの会話を始めてしまう。
 
 いい、友人同士のように。むしろ──距離の近い、家族同士のように、だ。
 なんとなく、なのはにはその流れのまま、会話に三人目として入っていくことができなかった。
 
 なのに。──なのに、彼は。ごく自然に。
「──さ、いい子だから髪の毛でも洗ってきて。なのはママの相手は、僕がしておくから」
 こんな風に、きっかけや入り口を、ずるいくらいにごく当たり前のように、作り出してくるのだ。
 
 

Nocturne 外伝『十年越しの、これから』 3 〜『これから』を、はじめる場合〜

 
 
 はあい、と。頷いてヴィヴィオは一人、シャワーの備え付けられた洗い場のほうへと湯船からあがっていった。
 
「……きちんと、理由訊けてなかったから」
「……うん」
 おかげで、二人きりになれた。ヴィヴィオの素直さと、彼の話術がそうさせてくれた。
「いいところだね、ここ。お湯の温度もちょうどいいし、自然も多いし。教えてくれたシグナムさんに感謝しないと」
「……うん」
 切り出し方は直球でも、そこからの流れは、彼は婉曲。徐々に核心へと迫る。
 長くそれが続くわけでもないけれど、なのはの返せる言葉は、短い肯定ばかりだった。
「一応。……一応、覚悟は決めた上で起こした行動だったから、さ」
「うん」
 ほら、また。
「きちんと理由訊かずにそのままにしては、やっぱりいられない。教えて、ほしいな」
「うん」
 もう、いいから。……少し、そう一辺倒になっている自分がいやになる。相手が──彼がゆっくりと、筋道立てた理性的な口調である分、なおさら余計に。
「それと──ごめん。困らせちゃって」
「そ、そんなことは……っ、ない、よ……」
 
 そんなことはない、なんて。どの口から言えるというのだろう。
 
 彼にこうやって、ここまで気を遣わせておいて。彼の告白が嬉しかった、ただ嬉しかった。たとえその感情が事実であったにしろ。
 呵責と逡巡とに、なのはの言葉はか細く尻すぼみになっていく。
「……」
「……」
 そしてそのまま、双方が突入するのは沈黙。破るのは多分、なのはのほうでなければならなかった。
 彼が、回答を求めている以上。自分が彼に伝えていないものがあるかぎり。少なくとも、なのははそう思った。
「嫌いになったわけじゃ、ないの。……ううん、すごく嬉しかった」
 まるで。いや、言い訳にしか、自ら紡ぎだしていながらその言葉はなのはには聞こえない。それでも、愛する人に向き合うためには、なのははそうせざるを得なかった。
 嬉しさと同時に抱いた感情を、伝えなくてはならなかったから。
 
「ただ、怖かったんだ。……いままでの自分の、我侭さが」
 だから、はっきりと言った。
 
*   *   *
 
 椅子の背が撓り、わずかな軋みの音とともに預けた体重に従い、揺れる。
「あー。そろそろなのはちゃんたちは温泉にでも入っとるんやろうなぁ」
 首や肩の筋肉を鳴らして凝りを解しながら、はやては呟いた。
 自身の執務室のデスクで、独り言でもなく。その側にカップ片手に控える、人影に向けて。
 
「大丈夫かな、あの二人」
「んー……どうやろ。プロポーズの振った振られた同士で、しかも付き合うとるわけやからなぁ。経験のない私たちにはなんとも予測できへんやろ」
「まあ、ね」
 
 相手は金髪に黒服。つまりフェイトと親友同士、仕事の合間に語らう。
 またこの話題について彼女らは少なくとも、はやてはなのはから、フェイトはユーノから事情を聞いた、ある程度多角的な視点が期待できる双方でもあった。
 ただ同時に、自分たちが今議論したところで本人らのいないこの状況では意味がないということも承知している。
 
「旅館を紹介したのは、シグナムだった?」
 
 ゆえに、深刻にはしない。あくまで、雑談に留める。
 それに彼女らは親友とその恋人との間を心配もしていたけれど、同じくらいに信頼もしていた。
 
 やれやれと、それでもと。二つ感情があるから、多少楽観的でいられる。……もちろん、その楽観に沿った結果をなのはやユーノが生み出す場合には、そこそこに気持ちを擦り減らしたり、エネルギーを必要としたりするであろうこともわかってはいるが。
 
「ええなあ、温泉」
「……いいね、温泉」
 
 休暇を使って、娘と一緒に。──恋人と、一緒に。
 
 実に──……、
 
「「──いいなあ」」
 独り身同士、親友同士漏らした言葉が、和音を奏でた。
 
*   *   *
 
 今までの自分は、ひょっとすると。いや、しなくても。すごく、我侭に過ごしてきたのかもしれない。
 そう、ふと思うようになったのは彼と付き合いだした頃。つまり機動六課が解散するかしないか。ヴィヴィオという愛娘を得て──同時に、戦いの最中に負った見えぬ傷跡を、その身に宿していた、そんな日々の中においてだった。
 
「後悔してるんじゃないんだ。ただ」
 
 ただ、ほぼ同じくらいの時期に得たふたつの大切なものが。
 それらが、なのはの視線を後方へと向けた。ふと振り返る、顧みるという物理ではなく心理上における行為を、知らず知らず生み出していた。
「わたしの背中がいつもあったかかったのは、いつもそこに他の誰かがいて、任せきりにできていたからで」
 そうやって支えてくれていたのは、家族であったり、親友であったり。
「ユーノくんやみんなが、前しか見てなかったわたしの代わりに、いろんなものを背負ったり、支えてくれてたからだったんだな、って。思ったんだ」
 
 八年前。事故で大怪我を負ったときもそうだった。
 自分は、復帰することしか。また二本の足で立ち上がって、自分の翼で再びはばたき空に戻ることしか、頭になかった。
 心配をかけている──そのことを言葉ではわかっていながらも、たぶん根幹の部分では十分には理解していなかった。あくまでも意識は、前に集中していたから。
 
「──そうしたら、なんだか怖くなった。わたし、ダメだな、って思うと」
 
 湯気のむこう、竹柵のむこう。姿見えぬ、けれどたしかにそこにいるユーノへとなのはは思いを吐露する。
 今自分の吐いているその言葉すらもがひょっとすると彼の重荷にはなっていないだろうかと、いささかの猜疑を己に覚えながら。
 
「ずっと甘えっぱなしで、いつか支えきれないくらい重いものを、背負わせちゃうんじゃないか、って」
 そのまま、彼でなく自分のほうが消えてしまったら。──永久に、失われてしまったら。なにも返せないままいなくなってしまったらどうしよう、って。心からそんな想像が、怖いと思ったから。
 だから、彼を拒絶した。心から嬉しいと感じられた彼の言葉に、踏み出せなかった。今以上の先に進むその一歩が。
 そこにもまた自分の我侭と、皆の──いや、彼の心配とが待っているのではないかと思うと。
 返せずに終わってしまうかもしれない自分を、推し進めていくことができなかった。
 
 今ある彼やヴィヴィオや、すべてからけっして離れたくはない。
 どんなものよりそれらはなのはにとって、かけがえのない大切なものであるからこそ。
 だが、そうだからこそ。
 それ以上は、なのはは自分が求め望むべきなのかわからなかった。
 包み隠さず話したのは、それら抱いた思いだった。
 
「今更、だね。臆病だね、わたしって」
 
 締めくくりに放った自嘲の言葉が、空に響いた。
 
 竹柵の向こうで、彼は黙りこくっていた。
 彼がなんといって返してくるのかは、今のなのはにはついぞ、見当もつかなかった。
 嫌われても。今更何をいうかと愛想をつかされても、それは仕方のないことなのかもしれないと、思えた。
 
 しかし、なのはの耳を次に打ったのは。
 
「いいよ、別に」
 そんな、まるで予想だにしない彼の言葉。
 
 
(つづく)
 
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