カーテンコールを書きつつ。

風邪、まだ微妙に残ってます。咳が特に。
 
 
てなわけで本調子じゃないですが今回はカーテンコールですよっと。
過去分はこちらの保管庫から。
 
どぞー。
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 置き去りにされていった言葉は、二人からひとつずつ。
 
 子供みたいに、いつまでもそうしてなさい──かつての、パートナーから。
 ごめん──血の繋がらぬ、姉妹という絆を得たばかりの、栗毛の少女から。
 
 後者からの言葉には、病室にともに、きちんと食べるよう食事も残されていって。でも、おなかは空いているはずなのに到底そんな気分にはなれなくて。
 どうすればいいのか、わからなかった。これから自分が、どのように思うべきであり、どのように行動するべきなのか。
 
「……」
 自分は、自分が思っていたよりもずっと、なにもできなくて。
 そのことをどうしようもないくらい、嫌というほどに一度身体から失われた右腕を覆う包帯は提示してくる。
 
 だから、「できる」人に助けを乞いたかった。
 なのはさんを、あんな風にしておかない。自分とは違う、救うことのできる存在に。縋ろうと思ったのだ。
 その結果が、投げ捨てられた言葉と。紅く腫れた頬の痛みだった。
「なのは……さん……っ」
 
 ──どうすれば、いいんですか。
 
 横になど、なっていられない。シーツに顔を埋め、その内側の膝を抱える。双眸を沈めた白い掛け布団が、じんわりと湿り気を帯びていく。
 
 ──なのはさんは、あたしの先生なんですよ。勇気を、教えてくれた人なんです。
 
 だから。
 
「教えて……くだ、さい……」
 
 漏れた呟きに、嗚咽が混じった。
 今度も、教えてください。前みたいに、教えてください。そこにいない、そんな師への言葉は、無力感という雨に打たれ錆び付いた、心のブリキ缶から滲み出る。
 
 自分には、できなかった。助けられなかった。
 見つけたと思った方法も、閉ざされた。
 ゆえに彼女の心もまた、突き崩すものなきまま底冷えの限りに凝り固まっていた。
そのすぐ側に放置され冷め切った食事の、スープの表面に張った膜のように。
 
「──……?」
 
 ただ、表層から揺らすものがあるばかり。
 しかしそれは、ずんと重く響くように深く内部へと伝わり、スバルを揺らしていく。
 鳴らされた、インターフォン。開いたスライドドアの、向こう側から現れた、その相手。
 
「やあ」
 
 サンドブラウンの、ひとつ結びの長い髪が地面を向いていた。
 翡翠の色を移したような、眼鏡の奥の双眸は、スバルを虹彩に捉え笑んでいる。
 それは彼女の想い人だ。自分が置き去りにしてきた師の、その愛する男性。
「あ……」
 ユーノ・スクライア。その訪問客に抱いたスバルの感情は、一義には怯えと呼ぶべきものだった。
 相手が自らより遥かに害意からは遠い世界の住人、職業人であるにもかかわらず。その表情に張り付いているのが温和な微笑にもかかわらず。
「きみと、少し話してみたくってね。ちょっと、いいかい?」
 
 想い人を奪われた青年と、守りきれなかったその教え子。自分と彼の間を言い表すのは、そういった語句だ。
 その関係性が、絶対零度に冷え切ったスバルの心を一層に、震わせる。
 ただ、震わせる。怯えに、恐怖に。
 
 
魔法少女リリカルなのはstrikers 〜Curtain call〜
 
第二十三話 無力な少女であったなら
 
 
 舗装された敷地の道を踏みしめる音が、耳を打った。
 大体やってくるであろう相手など絞りきれたものだし──その足音の耳ざわりは、ティアナの頭脳における記憶野データベースの、最近という項目において更新され続けているものだ。
 だから、振り向かずとも言い当てることができる。
 
「ディード?」
「はい」
 
 一応、口調は確認の風情に。当たっていた。一緒にこの部隊へと合流した後輩の声が鼓膜に響く。
 
「何?」
「八神二佐からです。今から八時間後、聖王教会と管理局連名の声明をカリム・グラシア理事が回答すると」
「そう。……あんたにとっては『騎士カリム』、でしょ?」
 べつに、形式ばらなくったっていい。ちょっと見遣りつつ、言う。
「ですが……」
「そう、縛られないの」
 
 溜息、ひとつ。踵を返しぽんと肩を叩き、彼女とすれ違うようにしながら、忠告してやる。
 形式だとか。そういった決まりきった、確固たるものに思考が縛られてしまうには、彼女はまだ早い。先達としての老婆心ながらティアナは、幼いディードにはそういうものに凝り固まってほしくは、ないと思う。
 
 ……自分と。自分のかつての相棒と。その双方が敬愛する相手を守れなかったことに拘っている自分のようには、なってほしくない。
 同じ失敗した者同士だからこそ同じく再び立ってほしいという思いに縛られている、それゆえに膝を折ったままのスバルに苛立っている、自分のようには、けっして。
 
 そう──苛立っている。自分は、苛立っているのだ。
 
「あ……それと、その」
「うん?」
 ディードにとっては扱いにくい年上で、先輩だろうな、と思う。
 だが、精神は波立たずにはおれない。
 スバルが、立ち向かえる人間であるということを知っているからこそ、なおさら余計に。
「一度本局に戻ったオットーが同時に、奪われたヴォルテールとフリードリヒの、それぞれの生物種についての調査資料を送ってきてくれました」
「……それで?」
 短い言葉は、落胆のものではない。むしろただ次を求める、催促の意を呈した三文字。
「はい」
 無論、疑念を持つほどディードはまだ、よくもわるくも人の間にあるロジックの微細さを知ってはいない。
 相槌ののち、疑義を差し挟むこともなくティアナの自己完結した杞憂をよそに彼女は続ける。
 
ヴォルテールに関してはおそらく同個体と思われる個体が──フリードリヒに関しては、同種と判断される白竜の一種が、かつての古代ベルカ、聖王の居城における竜騎兵団の戦力として運用がなされていた記述を、いくつかの文献の中に散見したと」
 
 続けて、双子の報せてくれた情報を、ティアナへと告げる。
 
「そう──じゃあ、キャロのほうも?」
「はい」
 こくり。頷きを一度上下させ、肯定。
 キャロ・ル・ルシエのこと。ヴォルテールたち、彼女の使役する竜を調査するにあたってはそこは避けて通るわけにはいかない。
アルザスの竜の巫女の部族、ル・ルシエ。その発祥についても源流は、聖王の軍勢における兵站祈祷を担っていた一族にあるようです」
 無論、本人には了承をとった上での調査ではあるけれども。
 彼女を勝手な理由で放逐した部族についてのことである。やらせていて、結果を聞かされていて。いい気分の、するものではない。
 おそらくは彼女も──ヴォルテールたちのことがある以上、聞きたがりはするだろうが──……必要に迫られた部分以外ではけっして、積極的に自分から聞きたいとは、思うまい。
 
*   *   *
 
 どっちがいいか、そう訊ねられ。二本のうちからスバルが選んだのは蒼いスポーツドリンクの缶だった。
 それをもたらした相手から受け取って。一瞬指先がその肌に触れたとき、あやうく掌をひっこめてしまうところだった。
 
「どうしてそんな風に、笑ってられるんですか」
 
 そんな彼に最初に抱いたのは、恐れだ。
 自分が、責められる。詰られる。青年はそうすることの出来る立場の人間であったから。
 だが、スバルの元を缶ジュースを手に訪れた彼の顔には、微笑が張り付いていた。怒りを押し隠している風でもなくただ、口元を柔らかに他意なく歪めていたのだ。
 
 なぜこの人は笑っていられるのだろう。
 大切な人を。愛する人をあのような姿にされて。されるのを止められなかったスバルを目の前にして。腹立たしく思わないのか、心配に思って、いないのだろうか。
 
 そう、思った。その感情をようやく言葉に出来たのは、スポーツドリンクを手渡されて、彼が来客用の丸椅子に腰掛けて状況が人心地ついてからのこと。
 
なのはさんのこと、心配じゃないんですか」
 ごめんなさいのあとに、彼に「いいから」、その四文字を返されて。
 たまらず、言葉が溢れた。膨れ上がった疑問を、抑えることができなかった。本来責められるべきは自分であるはずなのに──彼のことを、責めるように。そう、問うていた。
なのはさんがあんな風に傷ついて。助けられなかった張本人の前で、どうしてそんなにへらへら笑ってられるんですか──……っ!?」
 
 青年の手には、缶コーヒーが一本残っていた。彼は未開封のそれを指先に玩ぶ。
「……心配だよ、もちろん」
 やがてその動きが、ぴたりと止む。スバルの話を聞いている間、缶をそうしている間の沈黙も同時に、破られる。
「本当に心配なんですか……? ならどうしてそんなに落ち着いて……」
「落ち着いてなんか、ないさ」
 ただ、信じているだけだよ。スバルの言葉を遮った彼は、そう短く言うに留める。
「信じる……? なのはさんを……?」
「なのは、だけじゃない。なのはを信じているみんなを。なのはが信じて後を託した、皆を。もちろん──なのは自身のことを一番に信じてはいるけれど」
 
 そして、飄々と続ける。
 
 心配なのは、今だってすごく心配さ、とか。
 なのはが心配をかけるのは、今に始まったことじゃないから、とか。
 そういうことを全て理解した上で、支え続けることを決めたのは僕自身なんだから、とか。
 
 青年の語る様や言葉は、すごく歯が浮くようでいて。けれどいつしかスバルは俯きがちだった顔を、気がつくと魅入られたように彼のそういった様子に向けてしまっている。
 問い返されて、回答するのに──思考を掘り起こす作業が必要なくらいだった。
 
「きみは、信じられないかい? なのはのことが」
「そんなこと……ただ」
 ただ。
「ただ、あたしは……なのはさんに応えられなかった、あたしが信じられなくて……っ」
「そう。なら、その差かな」
 搾り出した思考と言葉に対して、やっぱり彼は微笑、余裕を消すことはない。
 
「僕は、きみも信じているから」
 
 なのはに、託された。なのはが信じた、きみを。きみたち、すべてを。なのはが信じた相手を、僕は信じられる。
 
 青年がそう言って立ち上がったということは、彼のほうからの話はそこまでということなのだろう。
「僕だけじゃない。ヴィヴィオも。レイジングハートもそうだ」
レイジングハート……? それって、どういう……?」
「彼女も、きみのことを信じて待っている。そういうことだよ」
 
 だが彼とは違い、スバルは完全にこの場でのやり取りを理解し、納得したわけではない。視線で縋り。とんとんと爪先を鳴らす青年を両目で追う。
「きみを信じたなのはに、きみがこのまま背を向けて。改めて彼女を裏切ったとき──そうなったとき、はじめて僕はきみを赦さないだろうね」
「あ……ユーノ先生っ!? 待ってくだ……」
 しかし、青年は止まらず。そのまま、柔らかな表情と共にスライドドアの向こうに消える。
 師に届かなかったときと同じく──伸ばしかけた右手は、誰もいなくなった室内でなにものも掴むことなく終わった。
「信じる……あたし、を……?」
 
 もう一度。
 失敗して。無様な姿しか晒せなくて。敬愛する相手を助けられなかった自分を。
 できるだろうか。それは軟弱者であることを自覚するスバルには、ひどく困難なことであるように思える。
 けれど。
 
「……!!」
 息を、呑んだ。包帯に包まれた掌を見て、そしてそれを握り締めた。
 心の水温はたしかにまだ、すっかりと冷え切ったままだ。
 しかし永久凍土のように凍り付いていても、それでももう。絶対零度からはほんの一度か二度かではあっても、異なる原子の動きを得たように感じられた。
 その振れ幅が、どんなに儚く微細なものに過ぎなかったとしても。
 今は助けられるだろうか、信じられるだろうかという懐疑、疑義に過ぎなくとも。
 
 それは、熱となる。
 
*   *   *
 
「……ヴィヴィオ?」
 
 たしか、ナンバーズたちが相手をしてくれているはずだった。
 あの放送の内容を、少女が知ってしまわぬよう。そう、気取られぬように。
 なのはの教え子である、スバルの病室をあとにして。ユーノ自身の出てきたスライドドアの横に、その彼女が立っていた。
 彼がスバルの部屋に入ったとき、室内にいた想い人の教え子がそうであったように。俯いて。下に、視線を落として。
 
「どうしたの、ヴィヴィオ。ディエチや他のナンバーズのみんなと一緒じゃなかったのかな?」
「──……っ」
 
 きゅっと、少女は口を一文字に結んでいた。身長差ゆえ俯けられた顔のうちではそこしか、膝を屈めたとはいえ見下ろす形のユーノには見て取ることができない。
 覗きこんでも、彼女がどういう表情をしているのかはそのままでは無理だった。
 
「みんなね、すっごくやさしいの」
「え?」
 
 八歳の少女が漏らす呟きに、聞き返す。
 直後、彼女が見上げた。俯いていた顔を持ち上げたのだ。
 
 その揺れが、雫を落とした。
 
 塩辛いものを滔々と溜めた、彼女の左右で異なった色を持つ、両の瞳から。
 上を向くと同時に、それらが溢れた。
 
「みんな……ヴィヴィオになのはママのこと、心配させないようにしてる……だからみんな、いつもよりすごくやさしくて、気を遣ってくれてる……っ」
 
 そこから先は、言葉が篭った。
 ヴィヴィオの顔が。身体が。ユーノの着衣に埋もれたから。少女が──泣いていたから。
 
「……ヴィヴィオ
 肩を震わせて、彼女はユーノにしがみつく。ユーノも、いずれ自らの娘となる少女を抱き寄せる。
「なのはまま……大丈夫だよね……? ちゃんと、帰って来てくれるよね……?」
 着衣と肌の触れ合いの中に、少女の声が伝わってくる。
「大丈夫。……きっと。いや、絶対に」
 信じている──そうスバルに告げた彼は、少女に言いながら、頷いてやる。
 自分の言葉や考えが、最大限伝わるように。
 
「なのはは、大丈夫」
 
 
(つづく)
 
 
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