短期集中連載終了。

 
とりあえず今回で完結ですー。明日にでも全話、nocturne保管庫のほうに入れておきますゆえ(nocturne外伝だしね)。
前回分についてはこちら
 
 
てなわけでnocturne後日談、ユーなの短期連載最終話、どぞー
 
↓↓↓↓
 
 
− − − −
 
 
Nocturne 外伝『十年越しの、これから』 4 〜想いを、受け入れる場合〜
 
 
 彼の声は、まるでなんでもないことを言ってのけるかのように、気軽で、いつも通りにやさしい響きをしていて。
 
「いままで通りでいいよ、って言ったんだよ。なのは」
 あまりに普段のままがすぎて、聞き違えたかと思ったくらいだった。
 動揺して、戸惑っているところに、そうやってこちらを安心させるような一言を彼は繰り返す。
「ユーノ……くん……?」
 彼は、自分が何を言っているかわかっているのだろうか。
 ──いや、わかっている。きっと……ほぼ、確実に。わかった上でそういう風に、彼は言う人だから。
 
「……でも」
「いいんだよ」
 
 かつてのあの事故のときと同じような──ううん、それ以上のつらい思いを、させてしまうかもしれない。
 ヴィヴィオと二人だけを、残してしまうかもしれない。
 そんななのはの危惧に、ユーノはあくまでの肯定の言葉を繰り返す。
「怖がらないで欲しいんだ、なのはには」
「え……?」
「僕は、後悔なんてしないから。なのはを背負って、潰れたりしない。絶対に」
 竹柵のむこう。聞こえてくる声ははっきりと力がこもっていて、なのはの耳に吸い込まれてきて。
 ここに来る前──数日前。知人の三等陸佐から聴かされた言葉に、重なる。そのときは実感の湧かなかったそのうちに秘められた感情が、おぼろげながら心へと浸透を始める。
「僕は、なのはを信じてる。帰ってくることを諦めたりしないって。そう思ってもらえると、自分に自惚れてる」
 信じる。そう──信じればいいのだ。彼を。彼が信じてくれている、自分を。自分を信じてくれている、愛する彼のことを。
「だから、結果に後悔したりしない。なのはを愛したことを、絶対に後悔しない」
 どんな結末でも、それを受け入れる。
 それができるのは、互いが互いに対して懸命でいられる。信じるという行為が可能であるからこそ。
「だから、信じて。預けてほしい。不安とか、そういうのをずっと、僕に」
 
 自分はどうだろうか、となのはは思った。
 そして、答えはすぐに出た。
 彼を、信じる。身を任せる。
 背負ってみせると言った彼のその言葉は、信頼に足るだろうか。結論に要した時間は、自分でも驚くくらいに短くて。
 
「……うん」
 
 無論。自身の中に浮かび上がった回答は、その二文字より他になかった。
 大好きな彼が、任せてくれていいと言ってくれている。信じられないわけが、あるものか。
 出た結果を自分が百パーセント後悔しないでいられるかどうかは、まだわからないけれど。後悔しないよう努力すること。彼の笑顔のためにそうすることは、自分にも彼にも誓うことが出来る。
 彼のことも。彼のために必死になれる自分も。
 どんな不安や恐れがあったとしても、それだけは絶対に信ずるに足るものだと、なのはには思えたから。
 
 だから、受け入れられる。
 今度こそ、彼の想いを。押し込めようとしていた、自分自身の喜びを。
 
「僕と、結婚してほしい」
 
 お互いの顔は男湯と女湯、そのふたつを隔てる柵に遮られて見ることも見せることもかなわなかったけれど。
「……うん……っ」
 言葉による肯定と、受容。それに首の上下が連なった。
 今度はなのはは、拒絶しなかった。
 
*   *   *
 
 一定のリズムの寝息を、すやすやと立てて眠り始めた愛娘を起こしてしまわないよう、そっとなのはは立ち上がった。
 眠っている彼女も。静かに足音を殺して布団から遠ざかる自分も、身に着けているのは湯上りに用意されていた、この旅館の銘の刻まれた浴衣だ。
 
「眠っちゃった? ヴィヴィオ
 小さな音だけで襖を閉じて振り返った先にも、同じ浴衣の姿がもうひとつ。
 暗めの明かりに調整された窓際で、竹で編まれたむかいあう椅子の片方に腰掛けて、彼が待っている。
 丸いテーブル上には、小さなボトルとグラスが二つ。もともとは冷蔵庫の中のものだからごくありふれたものではあるけれど、このあたりの名産のフルーツを使った果実酒がそれぞれに注がれている。
「うん、おいしいものもたくさん食べて、お風呂にも入ったからかな。もう、すぐにぐっすり」
「そっか」
 カーペット敷きの上を、布団部屋から降りる際ひっかけたスリッパで擦りながら対面に腰を下ろす。
 
「……単純かな、わたしって」
 
 いつの間にママとユーノくん、仲直りしたの?
 夕食のときは、そうヴィヴィオに言われて少し焦った。
 
 露天風呂での氷解後の自分と、それまでの気まずさを抱えた自分では娘から見てもそんなに、一見してわかるほど雰囲気からして違っていたのだろうかと。
 
「単純なんじゃなくて、正直なんじゃないかな」
 グラスをかざして。そこに満たされた濃い目の琥珀色をした液体越しにユーノは笑う。
 少し赤面しながら、なのはも彼に倣った。持ち上げたグラスを、彼のそれに近づけ重ね合わせる。
 
 最後の一押しは、あちらのグラスから。
 ちん、と。硝子同士が当たって甲高い音を立てた。炭酸の入ったアルコールから、表面に向かって一斉に気泡が弾けた。乾杯、と一言彼は漏らして、自らの口元にグラスを引いていく。
 
「なんの乾杯?」
「……さあ、なんでしょう」
 
 甘みと、刺激と。ほんのちょっとの辛さを喉の奥に落とす前に訊ねてみた。
 返ってきた彼の答えはちょっとだけ、意地悪だった。アルコールを堪能して。それからほんの少し、不満そうな顔をわざとつくってみせる。
 
「嘘。冗談だって。……そんな顔、しないでよ」
「ふふっ。わたしも、冗談だよ」
 
 言って、互いの顔を見て。破顔一笑。無論、ヴィヴィオの安眠を邪魔しないよう、声は二人ともひかえめだけれど。
 そう──こういう今までどおりが十二年もの間、互いの気持ちが通じ合うまでの期間に限定してみても十年間、続いていたのだから。
 これからも「今までどおりでいい」。ひょっとするとそういってくれたユーノの言葉がなによりなのはに運んできてくれたのは、安堵とか、安心といった感情なのかもしれない。
 
「本当に……いいのかな」
「まだ、言ってるの? そんなに僕のこと、頼りない?」
「う、ううん。そうじゃないの。ただ──……」
「ただ?」
 
 もらってばかりだな、とはやっぱり、思う。
 彼にはいろんなことを、してもらったり。与えてもらったり。そればかりだな、とは。
 グラスを置いて立ち上がる。高層ビルではないから、けっして俯瞰するような広大な景色は望めないけれど。
 ほどよく、夜目に刺さらない程度にライトアップされた庭園が、すぐそばの窓からは見えた。
「何言ってるのさ」
 彼も、腰を上げた。そうして、後ろからそっと腰と肩とを抱き寄せてくれる。
 衣擦れの音と共に、二人の身体が密着する。
「僕だって、たくさんのかけがえのないものをなのはから、いっぱいもらってる」
「……そう、かな。例えば?」
 肩の、彼の手に掌を重ねて。なのはは自分でもずるいと思う質問をした。
 でも。彼の返してきた答えは、そんな問いかけよりももっと、ずっとずるくて、卑怯で。気障なものだった。
 
「なのは自身とか、かな」
「……もう」
「他にも、ヴィヴィオとか。なのはの与えてくれた全部が、僕にとって大切なんだよ」
 こんなに、歯の浮くようなことをさらりと、平然と言える人だっただろうかと、言葉重なるたびに頬が熱くなると同時に、苦笑が漏れる。
 でも、自分自身が彼のことを好きだからという補正のおかげだろうか、その言に嫌味さは感じない。むしろただ、嬉しく思える。
「いっぱいいっぱい、背負わせちゃうかもしれないって、もう一度言っておくからね、最後に」
 もうこれ以降は、ごめんなさいとか。男の二言は受け付けない。
 彼のやさしさに──おもいっきり甘える覚悟が、なのはのほうにもできてしまったから。
 腰を抱いていた彼の右腕が、おなかの上にまわった。目線を見上げればすぐそこには、彼の翡翠色の双眸が見える。
 
「大切に、してください。……うんと、甘えさせてください」
 
 それは、彼に委ねるためになのはにとって必要な、一種の儀式めいた言葉だった。
 
「ずっと。永遠の一歩手前まで、ずっと。人として、いけるところまでは絶対に」
 
 返礼の言葉が紡ぎだされ、それを発した彼の唇が静かに近づいてくる。
 それ以上の光景を、なのはは確認しなかった。
 体重も。想いも。すべてを彼にあずけて、そっと両の瞼を彼女は下ろしていった。
 
 はじめて二人が言葉を交わしたあの夜も、月が二人を照らしていた。
 窓ガラス越しの、今もそう。同じように。
 世界や年月が変わっても光る月の下、無邪気だった二人は、愛し合う二人として口付けを交わす。長く、深く。子供でなく今はもう、大人同士として。添い遂ぐことを、誓い合って。
 唇と一緒に、互いの左手も絡め合い、重ねあいながら。
 
 月の光に、双方の薬指にあるリングが細い光を反射させている。
 婚約指輪の輝きは彼女が彼のものであり、彼が彼女のものとなるのを求めたに相応しく、どちらか一方のものではなかった。
 抱きしめあい、求め合う二人。二人のために、あるものに他ならなかった。
 
 
 
−end−
 
− − − −