できあがりました。

 
 我ながらここまで長くなるとは思わなかった(6000字くらいで終わらせるつもりだった)。
 というわけで、最終回でございます。あとがき的なものは次回にまわすということで、今回は純粋に最終回をお楽しみください。
 では続きを読むからどうぞ。拍手のssも更新しました。
 
↓↓↓↓
 
 
 
 
− − − −
 
  
 背後を、とられた。──ように、一見すれば見えただろう。
 また奴らに知性や、意識というものがあるのなら、きっとそのつもりであったのだろう。
「でも、残念」
 既に銃口はそちらに、向いている。
 マミの肩越しに。襲わんとする、その牙持つ者へ。
「数で圧倒なんて……されるわけ、ないでしょうっ!!」
 容赦なく、撃ち放つ。そいつだけに対してではない。背後より向かってきたその個体すら、標的のひとつにすぎないのだから。
「先輩として……恥ずかしいところ、見せられないものっ!!」
 
 魔女たちは、近付けば、穿たれる。
 魔獣たちが離れても、狙い撃たれる。彼女の狙いはあまりにも、正確で。
 
 魔獣。魔女。使い魔。それらすべてに対する乱射、そのすべてが同時に狙撃ですらあった。
 
「そこっ!!」
 
 上空から迫る、大咢。
 そんなもの、想定済みだ。頭など、齧らせない。かわりにおみまいしてやるのは、その大口の中に突き込むのは、無数に展開した砲口がひとつ。
 いくつものリボンが、周囲へとそれぞれに引き金を引き絞る。
 マミの指先も──上空へと魔女を縫い付けたそれを、同じくまた。
 放たれた一撃一撃が、爆散させていく。すべての魔獣と、魔女と。その使い魔たちを。
 砲撃の暴風が、撃ち砕いていくのだ。
 そして、暴風はもうひとつ。すべてを巻き上げ切り刻む、刃の竜巻ふたつが混じりあったそこにも、生まれ出ずる。
 
「すげーじゃん。そんなの、できたんだ?」
 
 真紅の竜巻。無数の節に分かたれた連節棍と。
 蒼き剣士の剣が描く、刃そのものがいくつにも分離し繋がりあった鞭のようにしなる蛇腹剣の竜巻。
「前は……あたし自身、知らなかったから。知ったのは、『こうなってから』。全部、わかってから……かな」
 背中合わせのふたりが巻き起こす刃の戦陣は、一切の接近を許さない。近付く者、触れるものすべてを、微塵に斬り刻む。
「あのさ、杏子」
 すらりと、足許に現れたもう一本の剣を、蒼の剣士は抜いた。多節に伸びていた右手の刃を戻し、友のもとより跳躍した。
「ごめん」
 杏子も、愛槍を手に、跳ぶ。
 不意に投げかけられた彼女からの謝罪に、苦笑をし、目を伏せて。
「バーカ。……今更、何言ってんの」
 それでも寸分狙いをずらすことなく、群がる敵を屠り去っていく。
 巻き込まれたなんて、思っちゃいないし。こうやって一緒にいられる時間がけっして長くないことも、その貴重な時間を戦いに費やさなくてはならないということも納得ずくで、やりたいからやっているんだから。
 
「気にするこた、ないってのっ!!」
 
 ほむらが、戦っている。
 そのためには、自分たちの戦いが必要で。
 さやかはそのことを願い、戻ってきた──それなら、友だちとして、やることなんて、ひとつじゃないか。
 どうやって戻ってきたとか、円環の理とかいうのがなんなのか。そんなのは今は、どうだっていい。
 
「……うん」
 
 そう言ってともに戦ってくれる彼女が、さやかには嬉しかった。マミさんも、そう。ふたりが一緒に轡を並べてくれることが、心から嬉しく思えたのだ。
 
 でも。だからこその、謝罪だった。
 巻き込んだこと。面倒事に付き合わせたことじゃあない。
 ふたりに、知らせないこと。それによって誤解をさせたまま、そういうことを言わせてしまうことへの、喉の奥に留めておけないすまなさへの謝罪が、溢れ出た結果だった。
 ふたりは、誤解したままいてくれていい。
 あそこで。ワルプルギスの夜のもとで戦っているのが、ほむらだけであると思っていてくれて、いい。
 彼女たちは、知らない。覚えていないし──もう。わからないのだから。
 さやかと、ほむら以外にもう誰もこの世界で、あの子を知る者なんていないのだ。
 
「……なんだっ!?」
 
 だから、伝えなくていい。困惑させる必要はないと、思っていた。
 ワルプルギスの夜を貫く、光の矢。そして卵の殻が割れるように砕け散る光の柱に、ふたりがうまくやったのだな、とさやかは理解する。
 
「やったのっ!?」
 
 罪悪感は、自分が背負えばいい。この世界のモノでなくなったこちらで、引き受ければいい。
 頭上を見上げて驚きに声をあげる、マミさんも、杏子も。さやかは大好きであったから。
 まどかもみんなも、そのほうがきっと、困らない。
 ちくりと痛む胸の罪悪感も、それと比べたらきっと、なんてことない。
 自分だけが見えているはずの少女と、彼女に寄り添う少女。ふたりの影の静かな下降に、さやかは目を細めた。
 
 
魔法少女まどか☆マギカ 〜everyman,everywhere〜
 
第十話 泣いてたって、笑って

 
 
 破片が、雨のように零れ落ちていく。
 崩れ、散らばり。黒い粒に変わりながら。その中をゆっくりとふたり、降りていく。
 傍らにはまだ、まどかが、いる。まだ消えずに、そこにいる。
 ほむらはまどかの、まどかはほむらの手を握って。その両脚で、瓦礫の広がる大地を踏みしめる。
「……終わった、の?」
 空を埋め尽くしていた絶望が、砕け散り降り注いでいることに実感がなかった。
 掌を差し出せば、その上に黒い粒が落ちて。そして消える。
「うん。この世界は──『この世界の』あるべき形になったんだよ」
 わたしの存在していた世界とは違う、ここは。そう言いたげに、はたまた無意識か、まどかは強調して言った。
「魔女はもちろん、魔獣も。少なくともここにいたのはあの子と一緒に紛れ込んだ子たちだから、今はいなくなる。この世界に自然と出てくる魔獣は今までどおり、瘴気と一緒に現れるだろうけど」
「そう」
「ほむらちゃんの、おかげだね。ほんと、いつもいつも、ほむらちゃんに頼ってばっかりで」
 まどかの言うとおり、空の魔女も、地上の魔獣たちもグリーフシードへその姿を変えていく。
 からからと、地面にそれらが跳ね落ちていく。
 
「お疲れ」
「──……美樹、さやか」
 そして瓦礫の上に、白マントの少女が佇んでいた。
 足許には、愛用の武器である剣を突き立てて。
 その姿に、ほむらは不思議なほど、驚きを覚えなかった。
 あったのは、納得。ああ、そうか。まどかがここにいるのなら、彼女も。理屈でなく、そういう理解があったから。
「さやかちゃんも。ゴメンね、手伝ってもらっちゃって」
「いーのいーの、気にしない。こーいうことのためにあたし、まどかと一緒にいるわけだし?」
 歩み寄ってきたさやかが、ほむらの横を素通りする。
 桜色と蒼とが、並び立ち笑いあう。屈託なく。そしてほむらのほうを見て──少し困ったように、苦く笑う。
 まどかと、さやかと。二人の見せたその笑顔が意味するところがわからないほど、ほむらは洞察力がない子どもではなかった。
「──もう、行ってしまうの?」
 ふたりが、消えてしまう。そのときが近いのだということを、悟る。
「……うん。それが、本来あるべき状態だから」
 この世界には、さやかも、まどかも。もう既に、いてはいけない存在。
「杏子には」
「あいつなら、だいじょーぶよ。それに、あの子もマミさんも、もう。まどかのことは……ね」
 だからもう、わからないならわからないまま。知らないままのほうがお互い、いいのかなって。少なくとも、ボロが出ないうちに。ふたりとも、あんたたちが降りてくるところ、見上げてたけど。
 頬を掻くさやかの表情は、それでもどこか寂しげだった。
 当然のことだと思う。
 友を欺いたまま、旅立つこと。仕方のないことだとわかっていても、そこに罪悪を感じないわけがない。
 
「ほむらっ!! ……さやかっ!!」
 
 そうやってさやかが、まどかが思い遣る少女たちがやがて、そこにいた。
 眉根を寄せて。杏子と、マミが。踏みしめた瓦礫を鳴らし、三人の前に、立っていた。
「……杏子」
 そうだ、今、呼ばれたように──ここには、彼女たちの知る相手はほむらとさやかしかいない。
 ほむらの傍らに、さやかの隣に。一歩引いて控えている少女なんて、いない。少なくとも、彼女たちにとっては。
 無数の刻を、ときには協力し合い、ときには反目しあいながらともに過ごしてきた彼女たちが、いつしかその中心にいた、皆のために世界を変えてくれた少女に気付くことはない。
 それは、とても悲しいことだとほむらは思った。
 この世界で、もう慣れたことのはずなのに改めて、そう思ったのだ。
 だから、目を伏せた。さやかもまた、歩み寄ってくるふたりから、視線を外していた。
 
「──まどかっ!!」
 
 そして次にはもう──揃って、眼を見開いていた。
 紅き少女の肉体が飛び込んだ、その風圧に前髪を揺らして。彼女の飛び込んだそちらを、見た。
 
 それは、夢なんかじゃない。
 
 抱きしめる、少女がいた。そしてほむらも、抱かれていた。
「杏子……ちゃん?」 
 目を瞬かせるまどかの胸に、杏子が顔を埋め強く強く、その身体を抱いている。
 ほむらの背中に、両腕が回されている。年上の、カールのかかったツーテールの少女が、豊かな胸にほむらを抱き寄せている。
「マミ、……さん?」
 何が起こっているのか、わからなかった。どうして、ふたりが自分たちを抱きしめているのか。答えを自分の内から、すぐには出せなかった。
「杏子、マミさん、──ふたりとも、まさか」
 あっけにとられていたさやかの、どうにか絞り出した声。彼女もまた、衝撃に困惑していた。
 まさか、という表情。だってそれは、ありえないことだから。
 
「……ごめん」
 
 まどかを抱きしめる、杏子の声が、肩が震えていた。
 
「ごめんなさい」
 
 マミの声も、そこに深い自責の色を湛えていた。
 ごめん。ごめんなさい。ふたりの声が重なっていく。三人は、息を呑む。
 
 ──すべてを、忘れていて。
 
 

 
「あたしらが、背中押したんだもんな。……そのくせして、なにもかも忘れちまって」
 何、やってたんだろう。ほんと。
 どれだけ、無責任なんだろう。
「ごめんな、まどか」
 全部。……そう、全部、思い出した。
 光と、降り注ぐ黒い雨の中を降りてくるふたりの姿を、目にしたそのときに。
 はじめは見えなかったその姿が、ほむらの隣にゆっくりと形を成していったそのときに、全ての記憶が、蘇った。
 
 世界が変わる前から、知っていたことも。
 世界が変わる前には、知らなかったことも。
 世界が変わってから、忘れたことも、ひとつひとつ全部が、脳裏と心に広がって行った。すべてが、理解できた。
 
 まどかの、やったこと。
 さやかに、起こったこと。
 マミに、訪れたこと。
 ほむらの、やってきたこと。
 そして、杏子自身の選んだこと。みんな。
 
「あなたたちに……すべてを、背負わせてしまった」
 マミも、杏子もそれらすべてを、思い出した。だからわかる。こうして今ここにいるまどかという存在が、どういう概念となったか。
 そうなることを決意した彼女の背を最後に押したのは他ならぬ、自分たちであったのだから。
「マミ、さん。……杏子」
 ふたりを交互に見返し、そしてさやかと、まどかと視線を行き交わせながらやがてほむらが、声を漏らす。
 三人が、三様に目を伏せて。見せるのは、ほのかな柔らかい笑み。
「……いいんです、マミさん。杏子ちゃんも。わたし。こうなったこと。こうやったことに、後悔してませんから」
「だけど! ……だけど、まどか! それに、さやかだって!」
 たったひとりで、ほむらはずっと頑張ってきて。
 まどかはこれから永遠に、ずっとひとりで頑張らなくちゃならなくて。
 結局、ふたりの苦しみや、取り返すことの出来なかったさやかというその犠牲の上に自分たちは、いる。なにも、やれないままに。
「いいの。いいんだよ、これで」
 なんにも、自分たちはしてやれていない。なにもかも、任せきり。
 顔を上げ、唇を噛む杏子の背を、そっとさやかが擦る。そして後ろから、両肩を抱く。
「これがきっと、一番きれいなんだからさ。ああするのが、一番よかったんだ。仕方ない部分は仕方ないって、……少なくともあたしは納得してる」
「美樹さん……ううん、さやかちゃん」
 だから、マミさん。このふたりのこと、お願いしますね。
 白い歯を見せて、さやかは先輩の魔法少女へと笑いかける。
 彼女の見せた笑顔の向こうに──風景が、透ける。
「! ……さやか、それ……っ」
「あー。こりゃ、もう時間切れかな」
 ハッとする三人。そしてまた、まどかの身体も同じく、その先に瓦礫を映し、透過と明滅を繰り返す。
 苦笑とともに、まどかは自身を抱く杏子の両肩に、そっと手をかけて。ゆっくりと、互いの身体を離していく。
 一歩、二歩。杏子の隣を抜けて、ほむらの前に出る。
「終わり、なのね」
 マミが脇に退いて、ふたりの間に空白をつくる。ほむらの顔には、泣き笑いのような表情が自然、生まれていて。
「終わりじゃないよ。これから、はじまるんだよ」
 それを受け、まどかは微笑む。いつしか夕焼けに染まり始めた空のオレンジが、彼女の桜色の全身を照らしていた。
 奇跡を待つ日々が、またこれから、はじまるのだと。彼女は言って、それから。
「ほむらちゃんがずっと、覚えててくれただけじゃない。杏子ちゃんやマミさんが思い出してくれたみたいに……こういう奇跡だって、あるんだから。奇跡はきっと、いつだって。どこにだって起こせるから。信じられるよね」
 誰にだって、起こせるんだって。まどかの両手が、ほむらの両手を握る。まどかの額と、ほむらの額が交差する。
「……ええ。そう、思う」
 桜と、漆黒。ふたりの魔法少女は寄り添って、互いの瞳を閉じた。
 そして瓦礫を踏む音に、杏子たちは、振り返った。
「キョーコ! マミおねーちゃん!!」
「ゆま?」
 それは、キュウべえを抱いたゆま。戦いが終わったからか、そのキュウべえがここまで誘導し連れてきたのだろう、幼い彼女が五人のもとへと瓦礫の上を、よたよたと駆け寄ってくる。
「危ねーぞ、こけたらどーすんだ」
 膝を曲げて、杏子はゆまを迎え入れる。ぴょんと、ゆまは杏子の腕の中に飛びつく。
「やー。ちっちゃい子は元気でいいわねー」
 その様子を見下ろして、さやかが両掌を擦り合わせて。
「さっきの……おねーちゃん?」
「そ。さやかって言うの。美樹さやか。あんたが大好きなお姉ちゃんの、お友達だち」
 さやかもまた、ゆまと目線が同じくなるよう膝を曲げる。
「んで、あっちでほむらのとこにいるのが、まどか。みんな、友だちなんだ」
 マミと杏子も、さやかの声に釣られ、ゆまの見るその方向に視線を向ける。
 ゆまにも……見えて、いる?
「で、あたしもまどかも。ちょっと遠くに行かなくちゃいけないんだ、これから。だから、ね?」
 さやかの白手袋が、ゆまの子供らしく真っ赤な頬を両側から包み込む。ゆっくりと、彼女はゆまに言い聞かせていく。
「いい子で、杏子たちの傍にいてあげてほしいな。杏子たちにとって大切な存在で、あり続けてあげて。それが、あたしからゆまちゃんにお願いしたいこと」
 その言葉を最後まで淀みなく続け、そしてさやかは立ち上がる。
 マミと、杏子と。ゆまに、背を向けて。
「行くのか?」
 振り向かず、彼女は頷く。まどかとほむらが繋がりあうそこに、まっすぐに進んで行く。
 まどかと、ほむら。双方の手が重なり合うそこに、自身の右手をまた、添えて。
「大丈夫だからさ、まどかは。いつまでだって、この子は待ってるから」
「さやか……」
「あんたが、この子を見つけるまで。それまではずっとあたしがこの子の傍にいてあげる。ひとりになんて、してあげないから。だから、あんたも信じて待ち続けてあげて」
 いつやってくるのかわからない、でもきっと起こる奇跡というやつを。
 地平線近くまで落ちてきた夕日は、眼をまっすぐに開けていられないくらい、眩しかった。
 蒼と桜は、その光を背に受けて白んでいく。
 光そのものに、同化するかのように、存在を薄れさせていく。
 
「待ってるから。杏子──マミさん」
 希望、そのものとなった魔法少女たちが、再び逝く。
「ほむらちゃんには、自分が納得できるまで、やりたいことをやってほしいな」
 わたしがどうとかじゃなくって。ほむらちゃんが、ほむらちゃんのやりたい、したいなにかのために。
 いつかまた出会えて、そのとき。みんなでまた笑いあいたいから。
「キョーコ。お姉ちゃんたち、どこに行くの?」
 立ち上がった杏子に、手を引かれ。目の前の光景を理解していないゆまが問うのはそれは、一種当然のこと。
 常人には、聞こえない。まどかを見ることのできたゆまにとっても、それは例外ではない。
 いくつもの、「ありがとう」と「さよなら」が交差しあうその場所で、杏子の応えは果たしてほんとうに、ゆまに向けられたものだったろうか?
 
「ずっと、ずっと。気が遠くなるくらい……遠いところだよ」
 
 果てしなく、遠くって。だけれど、いつかまた、会えるところ。そこでふたりは、待っていてくれる。
 視界を埋め尽くす、オレンジの光。
 その輝きへと次第に同化しながら、ふたりの少女が見せていた笑顔は間違いなく、希望に満ちてこちらへと向けられていた。
 
 大丈夫だよ、さやか。あたしにはもう、ゆまがいる。ひとりじゃあない。
 大丈夫だよ、まどか。あたしたちはもう──ほむらを、ひとりになんてしないから。
 どこにいたって。どんな姿になってたって。どう、呼ばれてたって。
 まどか。さやか。あんたたちのこと、二度と忘れない。ほむらを絶望なんて、させやしない。
 
 だから、またな。
 
 理のむこうへと帰っていく少女たちへ──消えゆくその笑顔たちに、杏子は心の中、そう約束をした。
 

 
「?」
 その小さな子は、窓を誰かが叩いたような気がして、ボール遊びに夢中になっていた顔を、そちらに向けた。
タツヤ?」
 父母が、不思議そうな顔をしている。
 とてとてと、窓に向かって不意に歩き出した、その幼子の仕草を見遣っている。
 やがて子どもの口から漏れ聞こえてきた、よく耳にする単語を聞いて、ああ、そういうことか、とひどく納得したものへと表情を変えて。
 
 「まどか、まどか」
 
 窓の外、広がる夕焼け空に幼い男の子は目いっぱい、手を振る。
 否。彼は、応じていたのだ。
 その空に消えていく、桜色の少女に。窓ガラスをそっと叩いた、音のないノックの音に。姉であった彼女の振る、掌に──振り返していたのだ。
 

 
「やあ。どこに行く気だい?」
 人の気配は、周囲のどこにもなかった。
 そこに、白い身体のそれは現れた。
 醜悪な外見の、そのイキモノを抱いた少女の前へと、姿を見せた。
「さあ……どこでしょう」
 この子と一緒なら、別にどこにだって。
 木影は歩みをひとときさえ止めず、白き収集者もそれを引き留めようとはしなかった。
「せっかくの安住の地を、置いていくのかい? それはもったいないといえるんじゃあないのかい?」
 少なくとも、声音にそんな色はなかった。もともと、抑揚も感情もない口調しか、インキュベーターがするところなんて聞いたことはないけれど。
 
 また、木影からの応答も、ない。
 居場所から、別の場所を探し彷徨うこと。それを選んだことに、さしたる理由なんてなかったからだ。
 強いて言えば、なんとなく。この街の魔法少女たちと、違う場所に行くこと、その理由と言えば、そうとしか言いようがなかった。
「サイカ、と呼んでいたね。キミはその生き物を」
 そんな彼女の脚をそこに押しとどめたのは、そのひと言があったればこそだった。
「ようやく、わかったよ。キミに寄り添う、その生き物の正体が」
 魔獣を、グリーフシードを糧とするモノ。
 無限に増大する、その概念の質量。──腐り崩れ落ちるがごとき、醜い外見。
 時間や、理すら超越した少女を呼び戻す、力。
 少女が失ったはずの力を、再び現実のものとさせる、その特性。
 蓄えたすべてを用いたうえでいずれも、僅かで限定的なものとはいえ。
 
「知りたいかい? 絆木影」
 
 木影の肩が一瞬、ぴくりと動いた。
「いいえ。興味、ありませんから」
 だが、次には否定の言葉が吐き出されていた。
 彼女にとって醜悪なそれは、それでも友だちであり。
 消えていった少女たちと、この街の魔法少女たちがそうであることに、なにひとつ違いはない。
 だから。正体などどうでもいい。
 
 再び、少女は歩き出す。キュウべえは、その背中をただ見送る。
 沈黙ののちにただぽつりと、
「……そんな意識の集合体が、まだ存在していたとはね」
 少女に聞こえぬよう、呟きながら。
 感情。それは病。それを知り、理解したがゆえに言葉すら失った同胞を、インキュベーター……『彼ら』は何の感慨もなく、遠くに見つめる。
 それが前任者か、前々任者か。もっとずっと、それこそ、『ファースト・インキュベーター』と呼んで然るべき存在なのかは、『彼ら』にもわからない。
 だがその醜い姿はたしかに疾患の結果だと、インキュベーターの総意は感想として告げていた。
 光から現れ、絶望を打ち砕き。再び消えていった円環の理をこの世界に呼び戻す方法が彼らになく、また既に彼らの中に『鹿目まどか』という少女の記憶が一切、残っていないのとそれは、同じことだった。
 

 
 林檎を、齧る。持たされている携帯には、マミからのメールが届いていた。
「終わったってさ。もうじき出てこれるって」
「……そう」
 制服姿でほむらとふたり、マミを待つ。
 高校受験に向けた補習だとかで──そんなものもあるのだなと、杏子は今更、自分たちの年頃を実感する。
 少しずつ、やっぱり時間というのは進んでいるのだと。
 
「今度は、ちゃんと覚えてる」
 
 それでも、変わらないこともある。
 一度忘れていたことを、再び知ったあのときから。
 今度は、忘れていないということ。消えていったふたりの記憶が、過去の世界の思い出が。苦いものも切ないものもすべて、杏子たちの中にちゃんと残っていること。
 過去をそうやって背負ったうえで、杏子たちが魔法少女を続けているということ。
 いつまでこうして、あいつらのことを覚えていられるかはわからない。
 少しずつ、消えていってしまうのかもしれない。
 だが、前とは違って。はじめからなかったことに、なってはいない。
「思い出せるって……大事なんだな」
 林檎の果肉が、口の中に甘みと、酸味と、みずみずしさを広げていく。
 噴水の前。杏子と並ぶほむらの手には、ケーキ屋の箱が提げられていて。
 みんなでお茶会をしよう、と言ったのはマミだった。
 杏子とほむらは、そのための買い出しを言いつかって──ケーキを買ってくるよう、彼女に頼まれた。
 
 マミと、杏子と、ほむらと、ゆまと。
 それから、『ふたり』のぶん。
 六人ぶんの、ケーキがその箱の中には入っている。
 
「忘れずに、いられるかな。あたしたち」
「……わからない」
 でも、とほむらは顔を上げ、杏子を見つめ、言う。
「私は、忘れる気はないから」
 絶対に。
 
 奇跡を、願っているから。
 明日、信じて。祈っていたいと思うから。
 
「あいつらのいる、……か」
 そうだな。そうだよな。天を仰ぎ、杏子は小さく頷く。
 泣いてたって、笑って。あいつらのいる明日をこっちから、迎えに行ってやろう。いっぱい、いろんなことを見て、聞いて。体験して。いろいろ自慢してやるんだ。
「っと」
 人ごみの向こうに、手を振るマミの姿が見え隠れしていた。いつの間に合流したのか、もう一方の手にはランドセルを背負ったゆまを引いて。
 んじゃ、行くよ、さやか。
 芯だけになった林檎を、狙い違わず手近なくずかごに放り込んで、ほむらとともに杏子は歩き出す。
 
 魔法少女たちは、歩いていく。
 魔女のない世界を、そのすべてに大切な少女たちを宿した世界を──希望を辿って、動き始めた新しい可能性の世界を。
 奇跡を待ちながら、それをもたらした少女たちに寄り添うために。
 きれいな、青の空の下。

                                       (了)
 
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